「これでいいの?」
後部座席で騒いでいた芦戸が漸く大人しくなったかと思うと、小さく呟く。
行きは助手席に座っていた切島も芦戸と並んで後部座席にいるはずだが、反応する素振りはない。
「何が」
「…んー…」
駅から遠ざかるほどに辺りの光も減っていく。
「アタシは皆に幸せになってほしいから、どっちの味方とかじゃないんだけど」
「……」
首都高にあがりスピードを上げる。エンジン音が車内に響いて、後部座席からの声が少し遠ざかったように思えた。
「アイツ相当ニブチンだよ?」
バックミラー越しに後部座席を見ると、芦戸は座席に身体を埋めながら窓の外をぼんやりと眺めている。
「…俺も」
身体を少し起こした切島がミラー越しに俺を見ているのが視界の端に映る。
視線を向ける気にはならなかった。周囲に車も無い。
「ちゃんと伝えねーのは、違うと思う」
「…知ったように言ってんじゃねェ」
アイツは俺が手を伸ばしていいヤツじゃない。
誰からも祝福されて、アイツの人生を変えられるヤツで、俺じゃない。
「わーってないなあ」
「あ?」
「わーってないな」
「降ろすぞ」
アイツが特別であることを否定してきたのは、他でもない俺だ。
今更何が、
「負けちゃうんだー」
「なんだかなァ」
「テメェらまじで降ろす」
「待てって」
アイツが隣にいなくても、昔の約束をアイツが忘れていたとしても。無かったことにされていたとしても。
また一緒にヒーローやれるんなら、それで。
「お前らが昔どんなだったかなんて知らねーけど、今はちげーだろ」
「フラれんならちゃんとフラれてきなよ!」
「黙れ」
アイツが誰かの特別な存在になることを否定してきた。
アイツが自分の特別な存在であることを否定してきた。
「緑谷のことになるとお前いつも下手くそなんだよな」
「…うっせェ」
俺はそれを受け入れるのに10年かかった。
それから10年かけて、ようやくアイツをこっちの世界に取り戻した。
アイツが特別な存在だってことを、ようやく世界中に見せることが出来る。
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僕はずっと、皆が特別で皆が大切だった。
今もそれは変わっていなくて、A組のみんなはその中でも僕に新しい人生をくれた、とても特別で大切な人たち。
オールマイトも僕の人生を変えてくれた、特別な人。
皆特別だった。だから、それは誰も特別じゃないってこと、上手く自分の中で納得することが出来なくて。
その中でも僕の特別ってどんな存在なんだろう?
それこそ、両親みたいに、誰か1人だけの特別な人…。
僕なんかにそんな人、いるのかな。
無個性の木偶の坊な僕なんかと、これからもずっと一緒に居てくれる人。
木偶の棒な情けない僕を前に向かせてくれた。
太陽みたいな、僕のヒーロー。
高校1年のあの時は、僕にとって確かに特別な分岐点だった。
特別な出来事をくれた、特別な人。
デクって呼ばれるの、嫌だった。
ちゃんと名前で呼んでほしくて、どうしたらいいのか分からなくて。
だけど、デクでいいんだって思えた。
そう思えたらようやく、正面から君と向き合えた。
君にデクって呼ばれて、嬉しいって思える日が来た、特別なこと。
君にとっては意味は変わってなかったかもしれないけど、今はきっと、そんなことないよね。
バクゴージムショのメンメンになるの、夢だったなぁ。
あの頃は君の背中を追いかけるだけが僕の世界だったから、それが素敵な夢に思えてたんだ。
でも、今はもう違う。
助け合って競い合って高め合って、それがすごく幸せだから。
君を追いかけるばっかりじゃなくて、一緒に並びたい。越えたい。
高校3年間の、君と肩を並べていられた時間。もう手に入らないんだと思ってた。
いつか素敵な人と結ばれて、もう僕には手が届かないんだって、思ってた。
自分を高く見積もる、かぁ。
君が、みんながくれたスーツで、また君と肩を並べていれば、見えるかな。
僕の本当に特別な人。君の本当に特別な人。
僕はまだ、君に追い付けるかな。