ガチャン。重い鉄の扉が閉まる音が部屋中に響く。
少し屈んで革靴を脱ぎ、玄関から廊下へ乗り上げたところで、舞い上がった埃がキラキラと月明りに照らされて輝くのが見えた。

「ただいま…」

リビングの窓から光が差し込む廊下に、均一に埃が積もっている。
足跡の一つも無いその白い層が先まで続いている。掃除に厳しい同居人がこの数か月間一歩も立ち入っていないことが分かる。出久は少し息を潜めて、舞い上がった埃を極力吸わないように足早にリビングの扉を開けた。

(う、わ…)

蒸された埃臭さが出久の周りを覆う。
30度を越える外気温をそのまま溜め込んだリビングでは、勝己が置いていた植物が水切れを起こして葉をすっかり落としてしまっていた。
勝己はこれをそこそこ気に入っていたように思う。
仕事に出掛ける前には葉水をかかさずかけていたし、休日になると葉についた水垢を丁寧に一枚ずつ拭き取っていた。出張時には水やりを頼まれることもあったが、水を与えすぎる出久のために土の保水量の分かる棒がささっている。その棒も、今となっては植物と一緒にカラカラに乾いてしまっているが。
出久はその植物を視界から外し、リビングの奥へと進んで窓を開けた。
外気の息苦しいほどの暑さと共に新鮮な風が部屋の中へと入り込んで来る。

「あっつ…」

シャツのボタンを2つ開き、袖をまくる。
腕の傷を隠すためにも出久は年中長袖のシャツを着ていたが、夏はなかなかに苦しいものがあった。アーマードスーツを着る際には皮膚の保護になって丁度いいものの、暑さはさらに増すことになる。中に着た肌着は汗でじっとりと重く肌に張り付いていた。

出久はスラックスの裾をめくり、靴下を脱いで風呂場に入る。
ゴポポポ…
シャワーのノブを開くと、水がせり上がってくる空気音が少し続いた後、シャワーから勢いよくぬるま湯が飛び出してきた。外気であたためられたお湯が湯舟に積もった埃を流していく。ひと通り浴室中を流して、出久は風呂にお湯を溜めはじめた。
風呂温度は42度に設定されている。ピコピコと音を鳴らしながら、出久はその湯温設定を38度まで下げる。

ガチャン。玄関から扉の開く音が聞こえる。
出久は慌てて脱衣所に出て、洗い上がりのタオルを床に放り投げて濡れた足先を拭った。廊下へと出ると、見知った頭が俯いてブーツを脱いでいる。

「おかえり」

ヒーロースーツのまま帰宅したらしい同居人は、屈んだ姿勢のまま出久を見上げると「おう」と小さく呟いた。手早くブーツを脱ぎ捨て、玄関へと並べてこちらへ向き直ってくる。

「はやかったね」
「まーな」

スーツのまま帰宅したからか、記憶よりも髪の伸びた勝己は大量の汗を今も流し続けていた。出久は勝己へ背を向けてリビングへと向かいながら、風呂を沸かした自分を内心ほめたたえる。

「わ、」

薄暗い廊下で勝己に背中から抱きしめられ、出久は足を止めた。
自分が汗を多量にかいている羞恥心以上に、勝己の汗のにおいに包まれ、出久は久しぶりに自分を包むその匂いに胸が締め付けられるように感じた。
何か喋らなければと開けた口は、音を出すことも出来ずにキスで塞がれる。

「ん、ぅ…」

ヒーローを兼務するようになってからは、出久も家を空けることが増えた。
勝己の元々多かった遠征と、出久の遠征が被ったのは同棲してから初めてのことだった。とはいえお互いにまだ長期任務の途中であるため、明日にはまた拠点へと戻らなければならない。

「…ん…」
「…おかえり」
「あ…ただいま?」
「ン。ただいま」

すぅ、と出久の首元へと顔を埋めてそう呟いたあと、勝己は満足したのか、出久を解放してリビングへと入っていった。数か月ぶりに開かれたであろう冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出し、溺れそうな勢いで飲み干している。

「お風呂沸かしてるよ」
「ン」

出久はより火照ってしまった身体をなんとか冷ますために、シャツのボタンをもう一つ開けた。首元をパタパタと揺らして肌へ風を送りながら、寝室の扉を開く。
埃っぽい布団シーツをどうするか。今日は此処で寝たいが、シーツの替えはあっただろうか。

「出久」
「え、ちょっ」

少しの浮遊感のあと、身体が布団に倒される。押し倒した出久に乗り上げたまま、勝己はゴソゴソとスーツを脱ぎ始めた。
窓から吹き込む風がカーテンを捲り、時折散る汗が月明りに照らされてキラキラと光るその光景に出久は息が止まりそうになりながら見入った。見下ろす勝己の瞳は緋色に、背負った星空を威圧するように強く光っている。

「窓開いてるよ」

出久のシャツのボタンに手をかける勝己の汗に濡れた髪に触れながら、出久はそう声をかけた。勝己の頭が出久の顔の傍へと寄ってきて、軽いキスのあとに舌が差し込まれる。

「ふ、…ン…」

勝己は聞く気が無いのか、そのまま出久のベルトへと手をかけた。器用に片手でバックルを外して、するすると抜き取られていく。

「いずく、」
「…うん」

出久は勝己の背中へと腕を回して、腰を浮かせた。スラックスが下着ごと降ろされ、肌が夜風に触れる。
明日の朝には、お互いにまたこの家を出なければならない。
リビングから聞こえる給湯器の軽快な音楽を聴きながら、出久は勝己の首元へと顔を寄せた。

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