運動量に合わせた血中酸素濃度の調整

A組のみんなに手を差し伸べられて、僕はヒーローに戻ることが出来た。
あの戦いを見ていた世界中から歓迎の言葉が届いて、恵まれすぎている自分が怖くなった。

その声に応えたい。もう一度皆の横に立ちたい。
8年分の遅れを取り戻す。

焦りばかりの僕を置いて、世界中から僕は呼ばれた。
僕にとっては8年ぶりの実戦でも、周りは僕の中に8年前を見ていた。

メディアにナノマシンを身体に纏って出て、僕は無個性になっていることを説明した。
何度も、小さなインタビューでも、何度も説明した。

それでも、世界は僕に8年前を見ていた。

あの時のデク

あの時の戦い

世界を救った

それなら

それなら

今回だって

平和の象徴の”次”が、また僕に向けられた。

オールマイトのようになりたかった。
オールマイトのようになれた。

うれしい。僕は恵まれすぎている。

応えたい。助ける。それが僕の、世界中へのお返し。

「すごいね、かっちゃん」

最初に失ったのは左腕だった。
現場でかっちゃんの蒼白な顔を最後に事切れて、目が覚めた時には機械が腕についていた。

「動かせるか」

かっちゃんは曇った顔で、両手で抱えた僕の義手をなぞった。
触られてる感覚が少し弱くなった気がした。熱が上手く伝わっていないのかもしれない。

「大丈夫そうだよ」

かっちゃんの手のなかで鉄がピクピク動いて、鈍い音を立てながらかっちゃんの手を握り返した。
両手で包み込まれてようやく、僕は指先が温かいと感じた。

「仕事減らせ」

「えぇ?」

「全部に応えようとすんな」

義手の費用は勝手に集まっていた。
世界中から寄付が来た。僕の口座には気持ちが悪いくらいのお金が溜まっていった。

「できないよ」

俯いたかっちゃんの肩はかすかに震えているのに、握られた指先は何も感じなかった。

かっちゃんは心配性になってしまった。
義手や義足のヒーローなんて沢山いる。

「自分で出来るよ」

「だぁってろ」

何度目かの大きめな入院の時、退院と同時にかっちゃんの家に引っ張り込まれて、一緒に住むことになった。

「ッ、ン」

メンテナンスといって、僕の身体を触る。
それならオイル差しや感覚のテストでいいのに、かっちゃんは僕の身体の切断面に触れたがった。

「くすぐったいよ」

「うるせぇ」

確かに擦れて皮膚が荒れていることはあるけど、僕自身そこに触られることには一向に慣れなかった。

「~~~っ」

くすぐったい。
血が回り辛くて冷たくなりがちなそこを、かっちゃんは両手で包む。

自分の右腕もそうしていたのかもしれない。温めて、撫でる。

「勃ってんじゃねぇよ」

「だって、」

太腿を撫でていた手が内側に滑り、下着の裾に潜る。
僕の身体に熱を奪われて少し冷めた手が、熱くなった下着の中を潜る。

「っん、ぅ、ッ」

かっちゃんの頭越しに常夜灯が小さく光っている。

「ぁ、っ、ん」

「ッ」

かっちゃんが僕の左脚を抱える。
置き去りになった右脚は、最初に貰った義手に比べて随分と自然な見た目になった。

動かすたびに鳴っていた鈍い機械音も、もう聞こえない。

「出久」

かっちゃんは自分だって傷だらけの身体のくせに、僕の傷が心底嫌いなようだった。
終わると決まって僕の上にのしかかって、胸に耳をつける。

「…重いよ」

「るせぇ」

心臓の音を聞いている、のだと思う。
少しだけ冷たい耳が僕の体温と混ざっていく時間は、僕も嫌いじゃなかった。

見た目ばかり本物に近くなっても、義肢ではやっぱり熱を上手く感じられない。
身体に直接触れている時と、義肢に触れられた時では、伝わる感覚がまるで違う。

「動いてる?」

「……」

「ねえ」

最初にこれをやられた時は、びっくりして、ドキドキして、それが聞かれているってことにまたドキドキして、大変だった。
どんどん速くなる鼓動にかっちゃんは吹きだしてた。
僕は自分の中に響く音で頭がいっぱいだった。心臓の響きが、耳の先まで、手先足先まで震わせているみたいだった。

「聞いてる?」

いつから、こんなに落ち着いてこれを受け入れられるようになったんだろう。

戦っている時も、セックスしている時も、鼓動が速くなる感覚があった。
心臓が体中に酸素を回そうと活動している感覚。

かっちゃんと触れている時にそうならないようになったのは、いつからだろう。

一緒に住むことになってしばらく、かっちゃんは僕が慣れないことばかりしてくるし、僕はいつだって圧倒されてて。
幸せで、恵まれすぎてるなって、いつだって思う。

「かっちゃん?」

「……ン、拭く」

かっちゃんは身体を起こして、タオルをお湯で濡らしに部屋を出ていった。

いつからだったか、そう昔でもない気がする。

直近の入院のとき、僕はまた心停止したらしくて、そこそこの騒ぎになった。
目を覚ますとお母さんと一緒にかっちゃんがいた。
お母さんは泣いていて、かっちゃんはまた強張った顔で僕を見ていた。

それから、

「出久」

「ん」

「寝てろ」

かっちゃんは起こしていた僕の身体を、背中を支えながら寝かせる。

「介護みたい」

「ほざけ」

温かいタオルが腰を撫でていく。
ほかほかして気持ちいい。乾いてはりついたローションをゆっくり拭われる。

「ありがと」

「ン」

汚れたティッシュやスキンを入れた袋を縛って、かっちゃんは部屋を出ていく。
恵まれすぎてる。幸せ。

「ありがとう、かっちゃん」

瞼が重い。少し前まで身体を拭かれるだけでも、僕はいてもたってもいられなかった。
虚ろになっていく意識のまま、目を閉じる。

軸椎残してしね

俺達は自惚れていたのかもしれない。
8年をかけた時間が、金が、俺達の存在が出久を引き留め続けられると何処かで思っていた。

出久が変わったわけではない。出久は何も変わっていない。
今の出久は俺達を見ている。一人で飛び出すこともなければ、荒んでもいない。汚れてもいなければ、休息も取る。

それが逆に、俺達を寄せ付けない。唯一変わらない出久のそれに依存し、壊すことが出来ずにいる。
 
 
 
 
 
出久が片腕を失った時、俺も同じ病院に居た。
俺は出久よりも先に目が覚めて、個室を訪ねた時には出久の腕は鉄になっていた。

出久の意思確認もなく、引子さんのサインだけで行われたそれに、俺達は誰一人関与していなかった。
ただ、勝手に集まった金と技術で出久は補われた。目覚めた出久はそれを平然と受け入れて、俺の手を鉄で握った。

俺は腕を失えば個性に影響する。
出久は身体の何処を失っても、影響する個性がない。

出久はぶら下げた鉄屑に機能を増やして、増強させていった。
個性強化の特訓のように新しい機能を楽しそうに分析しては、改良を重ねる。
 
 
 
 
 
そうして次に出久が脚を失った時、俺は遠征中だった。
病室に駆け込んだ時にはまた、義肢が既にそこにあった。

「つけなければ、よかったかな」

引子さんは震えながら、俺に縋った。
出久をヒーローに戻した俺に、その手を握る資格も無い。

片脚が無いまま車椅子生活にでもなれば、コイツは引退するんだろうか。
引子さんがサインしないだけでそうなるのであれば、俺もそれを勧めたかもしれない。
 
 
 
 
 
 
だから本当は、あの時が最後のチャンスだった。
出久の心臓は再起不能で、繋がれた機械が出久の血液を回している状態だった。俺は間に合った。
俺があの時終わらせていれば、出久は出久として死んでいた。

「かっちゃん、次の休みなんだけど」

俺が何をしようが、出久が顔を赤くすることはない。
少し前まで抱き寄せるだけで茹蛸になってた奴が、今は溶けたように笑うだけだ。

「お母さんとお墓に行くことになってさ」

「は?」

盆も過ぎてしばらく経つ。
出久は偽物の腕をライトに翳す。色を似せていても、血の気が無いのが分かる。

「腕と脚の骨を納骨するんだって」

潰れた腕と瓦礫の中から発掘された脚はさっさと焼却されて、引子さんが引きと取った。
医療廃棄物にすることを引子さんが拒んで、持ち帰った。

「変な感じだよね、僕の一部だけ緑谷のお墓に入るの」

出久は笑って俺の首に腕を回す。

「…俺も行く」

「え、いいの?」

先週、ヒーローデクの受け答えを模したAIが公開された。
デクの戦闘を模したアクションゲームも、映画もある。

「なんかちょっと恥ずかしいかも」

「意味わかんね」

頭まで偽物になったら、コイツは何て言うだろうか。
神経伝達がスムーズになった、とか抜かすかもしれない。

「かっちゃん」

コイツはそうやって、バラバラに焼かれて、出久じゃなくなっていく。
世界が求める象徴であり続けるために、少しずつ出久は欠けていく、

「…ン」

首に回された腕に引き寄せられて、出久の口が当たる。
少し濡れた感覚に安堵している自分に嫌気がさす。

「僕が死んだら、爆豪のお墓に入れてね」

俺の肩に顔を埋めている出久の顔を見ることは出来ない。
ただ、小さく呟かれたそれが震えていることに、俺は充足感を覚える。

「鉄屑は土に還らねーからダメだ」

「えー」

首に回された出久の両腕が俺の髪を撫でる。
触れれば一層、本物との違いが良く分かる。

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