上の歯が抜けた時は真っ直ぐ下に生えてくるように縁の下に、下の歯が抜けた時は真っ直ぐ上に伸びるように屋根の上に。

そんな乳歯の生え代わりの風習を、団地に住んでいた僕は近くに戸建てを持つ親戚もいなくて、かっちゃんの家を借りて行っていた。

「デクまだ抜けねーのかよ!」

かっちゃんはそう言って僕の口に指を入れて、グラグラ不安定な乳歯を弄って嫌がる僕を歯抜けの顔で笑ってた。
いつだってかっちゃんの方が先だったから、歯が抜けるのもかっちゃんの方が先。

僕の歯が抜けそうだって時に、同じ場所の歯がかっちゃんはまだ抜けてない歯だった時は、自分で歯を弄って血を出しながら先に抜いてしまっておばさんに怒られたりもしてた。

そうやってお互いに歯が抜けた時には、かっちゃんの家の庭で遊びながら、屋根の上や縁の下に歯を投げていた。

僕は何度投げても屋根の上に歯が届かなくて、壁に当たって落ちてきてしまったり、真上に投げてしまって自分に降ってきたりしていた。

かっちゃんはそんな僕を縁側に座ってシャボン玉を吹きながら馬鹿にしてひとしきり笑って、シャボン玉に飽きた頃には投げるのを代わってくれた。

犬歯の横の奥歯が抜ける頃には、かっちゃんとの仲はもうあんまり良くなかった。
親経由でただ集められて、冷え切った間を察したお母さんたちも風習だけ終わらせてさっさと解散した。


中学1年の頃、僕の最後の乳歯が抜けた。

中学に上がってからは、僕はただの弄られ役から”カースト最下層”になった。
カースト最上層のかっちゃんとは全く関わることもなくて、近づかないように気をつけるようになった。

いつか仲直り出来るかもしれない。

その時がくるまで抜けないように、グラつく奥歯を一際優しく歯ブラシで毎朝毎晩撫でていた。
硬い食べ物は逆側の顎で噛んで、出来るだけ最後の乳歯が抜けないように、馬鹿みたいに大事にしてた。

 

「仲良くしてやれよ、幼馴染なんだろ」

このムコセーとさ。
かっちゃんとよく一緒にいた同級生が、僕の机に乗り上げて笑う。
かっちゃんの顔が歪むのが見える。

関わったらまた痛い目にあう。

「っ」

机の横にかけていたリュックを取って僕が席を立つと、同級生はそのリュックを取り上げて床に放り投げた。

フタの開いていたリュックからノートが飛び出て、かっちゃんの前に散らばる。

「ごめんごめん、手が滑っちゃった」

僕の机の上でニヤニヤ笑う同級生を置いて、床に散らばったノートを拾ってリュックに詰める。

「ぅ゛ッ」

ガシャン
背中に強い衝撃を受けて、僕の身体は傍の机にぶつかった。

「あー、ひでぇの」

かっちゃんが目の前で這いつくばる僕の背中を蹴り上げたんだと分かる。
頭と肩を机のパイプに打ち付けて、目に涙が滲む。

「邪魔なんだよ」

頭上で冷めた声が聞こえた。
口の中に硬い塊が転がる。息を吐いた拍子に零れ出そうになるそれを手で抑えて、僕は荷物も机もそのままに教室を駆けだした。

頭はボサボサで学ランは白く汚れて、奥歯の抜けた僕がトイレの鏡に映る。

少しだけ血のついたその最後の乳歯を水道の水で軽く洗って、ティッシュで包んでポケットに入れた。

お母さんには、歯が抜けたことは言えなかった。
勉強机の備え付けワゴンの一番上の引き出しに、ティッシュのままに閉じ込めた。


「親知らずが痛んだ時に、これのこと思い出したんだよね」

この家を出た頃から何も変わらない部屋で、勉強机のワゴンの引き出しを開く。
一番奥でクシャクシャになったティッシュの塊。鉛筆の先が当たったのか所々黒く汚れたそれを開くと、小さな歯がそのまま出てきた。

「かっちゃん妙に僕が親知らず抜くの止めたよね」

後ろから僕の手元を覗き込むかっちゃんに声をかける。

高校3年の頃、寮の共同スペースで僕の抜歯の話になったときに、かっちゃんは僕の口をこじ開けて何処だ何でだってしつこかった。

歯医者さんが抜いた方がいいって言ってるのに、かっちゃんが見て何が変わるってわけでもないのに。

「ヤブ医者かもしんねーだろ」
「えー」

真横に生えていたらしい親知らずは隣の歯にも炎症をおこし始めていて、結局局所麻酔を使って歯茎を切り開いて抜去した。

片側だけパンパンに腫れた顔や飲んだ水を口の端から零す僕を見て、かっちゃんはケラケラ笑いながらもゼリー飲料を分けてくれたことを覚えている。

「出久」

「ん?、ぅ…」

僕の手の上のティッシュを左手で握り込んだかっちゃんが、右手で僕の顎を掴む。

「…ぁ、…ん…」

ぬる、と口の中に滑り込んできた舌は、僕の舌に少しだけ触れた後に、歯列をゆっくり撫でていく。
びっくりして固まる僕の腰と頭を引き寄せて、かっちゃんの舌が一層奥まで入ってくる。

「ン、ふ…」

中から食べられそうなくらいに深く入ってくるかっちゃんに、僕の身体は圧されて殆ど抱えられていた。
反り返った僕の身体を逃がさないように、身体を密着させられる。

ぬちゅぬちゅ、かっちゃんの舌が僕の中を動き回る。
フワフワした意識の中で、口だけでイキそうになっていた。

「――ッ、」
「はぁ…いずく…」

ガチャ、と扉の開く音が、廊下の向こうで聞こえる。

「ッ!」
「グ、ぉ、」

驚いて歯を閉じた僕に思い切り舌を噛まれたかっちゃんは、口を抑えながら僕を解放した。
被害者の顔をして恨めし気にこちらを睨んでいる。舌が痛くて咄嗟に声が出ないらしい。

「っ、は、な、何するの!」
「…ァ?」
「向こうに、お母さん達いるのに…!」

廊下から聞こえる足音はトイレだったのか、部屋の向かいの扉を開いて静まった。
小声で怒る僕に口を尖らせて、舌の痛みから復活したらしいかっちゃんが僕の口に指をいれてくる。

「ぁ、にすんの…」
「抜いた親知らずの横のやつだろ、コレ」
「へぁ…?」

僕の口の端を横に伸ばしながら、かっちゃんは目を細める。

「俺んち戻るぞ」

向かいのトイレの扉が開く。
足音は遠ざかっていって、リビングの扉がまた開いた拍子に、4人分の賑やかな話し声が聞こえてきた。

もう少ししたら予約したちょっと良いレストランに皆で行って、形式としての顔合わせは終わり。
今更ご挨拶も顔合わせもないけど。

「一発で投げろよ」
「…うん、もちろん」

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