冬十傑(狼×羊)の二人が、首枷狼と白いボロ布になるまでの話です。
エロは無いですが、流血描写が多いのでR18にしています。

死ネタですが、ハロウィンパロなのでハピエンのつもりです。

精霊→物の怪
※カツキがヒトを食べます。
※二人とも酷い死に方をします。

精霊は普段はケモノの耳や角が生えたヒトに近い姿をしていて、自由にケモノの姿に変わることが出来る…というフワッとした設定で作っています。

※参考にしているホラー作品ありです

 その昔、山の奥地のとある村では、古くからの言い伝えがあった。
 裏山には狼と羊の精霊が住んでいる。ヒトとは違う命の形を持つその精霊は、山を守り、森を守り、ヒトと着かず離れず、生きている。
 狼の精霊は獣を統べる。山へ住まう全ての獣は狼に従い、村へは降りない。
 羊の精霊は大地を統べる。山へ注ぐ天の恵みを分け隔てなく草木へ巡らせ、豊かに実らせる。
 村に住まうヒトビトは、山の恵みを与えられながら、精霊を敬い、穏やかに暮らしていた。

 山の中腹にある小さな祠から少し先に進んだところに、勝己と出久の寝床があった。
 狼の勝己と羊の出久は同じ年に産まれ、同じ年に両親からこの山を任されてから、二人で一緒に暮らしてきた。

 勝己は目の前に立つ幼馴染に視線を送る。暗い顔をして居心地の悪そうに身体を縮める出久は、いつもの着膨れた姿ではなかった。
 白いボロ布を頭から頭巾のようにすっぽりとかぶり、首元を紐でくくったその姿は、ヒトが太陽を求めて家の軒先に吊るす人形のようだと、ぼんやりと思う。
 出久はその人形を[てるてる坊主]だと昔に語った。日の光を求めて吊るすそれは、大地を司る自分への手紙のようなものなのだと、出久は嬉しそうに話していた。
 
「なんだ、そのカッコ」

 ビュウ、と二人の間に冷たい風が過ぎて行く。秋も終わろうかという季節、布切れ一枚で過ごすような気温ではなかった。ヒトのように軟弱な身体ではない勝己と出久も、冬支度を済ませていたはずであった。

「……、」

 出久は何も言わない。白いボロ布は出久の身体をすっぽりと覆い隠している。頭から生えているはずの誇るべき精霊の角すら隠したその姿を、ヒトの真似事かと馬鹿にしながら頭の先から足先まで見下ろして、ふと、勝己は気付いた。

「おまえ、死んだのか」

 出久には足がなかった。そういえば、ボロ布の裾から出るはずの腕も見当たらない。布の中の虚ろからぼうっと顔だけを浮かび上がらせて、出久は視線を落とした。勝己は出久へ手を伸ばすが、するりと抜けて触れることさえ叶わない。

「なんで」

 勝己には全く分からない。出久も分からないのか、ふるふると俯いた頭を横へ振る。

「自分が死んだ理由も分かんねぇの」

 勝己は呆れたように吐き捨てて、出久の横を通り過ぎた。出久はその後を静かに憑いてくる。

「死骸は何処なんだよ」

 ふるふる、出久が首を横に振る。勝己は「クソデク」と呟いてから、小さくため息をついた。


 

 
 大地を実らせ、ケモノやヒトに好きなように食わせるばかりの出久が、勝己は気にいらなかった。与えるばかりで、山を荒らす者には何もすることが出来ない。
 あまりにも無力な幼馴染は、同じように無力なヒトが気になるのか、昔からこっそり村へ降りていた。ヒトと仲良くなりたいと言って、角や尻尾を衣服で隠して、大人に隠れて村の子どもたちと遊ぶ。ヒトは愚かで危険な存在だと考えていた勝己はそれを受け入れず、出久の行動を何度も否定した。

ヒトから貰ったのだという道具を壊したこともあった。ガレ場の岩陰にその贈り物を隠し、出久が村へ降りづらくなれば良いと思うこともあった。出久はその度に酷く傷付いた顔をして、ボロボロになったヒトの物を大事そうに抱えていた。

「自分で死んだんか」

 そんなにヒトと交わりたいなら、ヒトとして産まれ直せ。勝己は自分がかつて出久にそう伝えたことを思いだした。出久がいくらヒトを愛したところで、ヒトは出久と同じようには愛を返してはくれない。
 
「……」

 出久は首を横に振る。勝己は小さく息をついた。溜息ではなく、安堵の息だった。

 出久はいつしかヒトに受け入れられ、山のカミサマと呼ばれるようになっていた。村に富をもたらす、豊穣の神に例えられるようになった。
 勝己と出久は精霊であって、神ではない。肉体を持ち、いつかは死ぬ。ヒトよりも少しばかり頑丈で、命の性質が違うだけだ。自然の中で暮らす精霊は、自然に少しだけ影響を与えることが出来る。それだけのことであった。
 ただ、出久の大地を統べる力は、ヒトが神と崇めるほどに、村に影響を与えた。

 川の形を変えたこともあった。ヒトがより繁殖出来るように出久の力を求めた、一番大きな[お願い]であった。出久は川に住まう生き物たちへ一匹残らず説得した。勝己がそれに手を貸すことはなかった。

 勝己からしてみれば、出久はただ搾取されているだけのように見えた。出久が身を削ってヒトに与えたところで、ヒトは出久に何も返さない。出久はそれでも、ヒトが喜べば幸せそうに笑った。「村もこの山の一部だよ」と諭す言葉に、勝己は酷く苛立った。勝己にとって、ヒトは統べるべきケモノではなかった。山を荒らし、ケモノを射抜いて喰らうわりには、自分たちは山へ何も還さない。自然の円環には溶け込まないその存在は、出久の自己犠牲によって生きながらえている。

「何処まで行ったんだよお前は」

 枯れた枝木が散らばる山道を勝己は歩いていく。出久はその後ろを相変わらずダンマリで憑いてくるばかりであった。勝己の独り言に近い問いに応える様子もない。

「ボンヤリしてっからだぞ」

 悪態をつきながらも、その日出久がどんな行動をとったのか、勝己にも思い出すことが出来なかった。出久が村へ降りる時以外は、二人はいつも一緒にいた。勝己は鼻がよく、出久と離れていても何処にいるかはなんとなく分かっていたはずだった。スン、と鼻を鳴らし、出久のにおいを辿る。イマイチ新しいにおいは感じられない。乾いた草木が風になびく音と共に、ケモノの死骸のにおいが漂っている。

「……っ」

 カラカラ、足元に散らばる乾いた広葉樹の葉が、風に転がされていく。出久は風に巻き上げられそうになるボロ布を抑えつけている。手足は見えないが、中には恥ずかしがるような身体があるのか。勝己はその様子を眺めながら、ぼんやりとそう思った。

「……、」

 出久は勝己の顔を恐る恐るといった様子で見上げ、山の奥へと視線を向けた。「帰ろうよ」と訴えかけている。勝己は手に取るように理解出来た出久の主張に、酷く腹が立った。コイツにとって自分の死骸は、それほどまでに執着の無いものなのか。

「身体ねーとずっとそのまんまだぞ」

 村でヒトが一人死んだだけで、さめざめと泣くくせに。自分の身体が何処かへ行ってしまってもその程度なのか。自分が死んでも何とも思わないのか。一人残される俺を、何とも思わないのか。

「……クソ」

 ヒトの命は肉体に宿り、精霊の命は魂に宿る。出久の肉体が死んだところで、出久の魂は確かに生きていた。ただ、依り代を失ってしまってはいつしか消えてしまう。出久はそれを分かっていながら、焦る様子すらない。

 勝己は舌打ちをして、ヒトが使う山道へと足を向けた。ケモノの耳を隠してヒトの姿に寄せ、ヒトの服装を真似る。勝己の珍しい姿に驚いたのか出久が勝己の前に出てくるが、勝己が足を止めないでいると、勝己の身体は前に立つ出久をすり抜けて進んだ。ヒトに草木を切り倒されて作られた山道が見えてくる。

「下に降りたんか」

 言いながら、勝己は腹の底でふつふつと何かが沸くのを感じる。吐き気にも似たそれを喉の奥へ押し込みながら、朽ちた木々が連なる山道を下る。

 「お前、何した」
 
 今年は雨が降らなかった。日照りの続く夏が過ぎ、秋になっても嵐すら起こらず、山には水が注がなかった。
 枯れた大地で出久が出来ることなど、殆どなかった。少しばかりの水を山で暮らすケモノ達に分け与え、草木は枯れていった。実を成すことの出来なかった山で、多くのケモノも死んだ。

「お前に出来ることなんて何もねーって言ったろ」

 村では無理に分岐させた川が干上がり、畑が死んだ。麦が作れず、家畜も死んだ。ヒトは出久に雨を願い、貢物を出し始めるが、出久には何をすることも出来ない。

 村が近づいてくる。死骸のにおいが強くなる。勝己が以前見たときよりも廃れた様子の風景があった。ヒトが出歩いておらず、からからと枯草がなびく音だけが響いている。

「……くせぇ」

 パチパチ、肉の焼けるにおいがする。ヒトが山へ入ってケモノを射殺すと漂ってくるにおいに似ている。ケモノがヒトを喰い殺しても、こんな不快なにおいはしない。ヒトは命を喰らうときに、その尊厳すら壊していくのだ。皮を剥ぎ、血を捨て、肉を焼き、味を足して他と混ぜて喰らう。勝己には理解出来ない行動だった。剥いだ皮は水で洗われて、しばらく天に晒される。喰らわず、道具にもしないどころか、見世物にする。

「ッ、」
 
吐き気がした。薄く開いた口からは、音ひとつ出ることは無かった。
 ヒトが出久を慕って建てた社の前に、その皮はあった。

 ぱちぱち、肉の焼けるにおいがする。
 枯れた草木が風に強く揺すられ、ビュオ、と大きな音をたてたが、勝己の耳には届かなかった。炎の中で火花の散る音も届かない。勝己の中で、全ては無音だった。

 羊の皮だった。まだ血の乾いていない、大きな羊の皮だ。野生ではあり得ない、精霊の大きさだった。

 肉が焼かれていた。いつもは捨てる血を、村人は啜っていた。
 出久が恥ずかしがりながら、それでも嬉しそうに報告してきた、出久を祀る祭壇の前だった。

 出久の角が奉られていた。右の角はそのまま掲げられ、左の角は砕かれていた。穴を開けられ、祭具に組もうとしているようだった。

 村人が勝己を見る。驚いたように盃の中の出久の血を零す。ヒィ、と悲鳴を上げる声すら、勝己の耳には届かなかった。

 
 食いしばった顎が震える。勝己はケモノの姿に戻り、ヒトの喉へ食らいついた。倒れたヒトの腹を裂き、胃袋に残る出久の血肉を喰らう。

「精霊だ!」
「捕らえろ!」

 ヒトが弓と刀を持って勝己を囲う。向かってくる男の腕を捉え、骨ごと嚙み砕く。口の中に入ってくるヒトの血肉のなかに、出久の霊力が流れている。

「やれ!」

 ヒトの矢が勝己の胸を射抜く。抑えつけられ、枷を嵌められ、社の柱へと括られる。勝己はそれでも、傍にあるヒトの耳を喰らった。耳ひとかけらにも、出久の霊力が渡っているように感じた。ヒトが怯んで離れた隙に、力の限り身体を暴れさせる。強い衝撃と共に、御柱が折れ、社は崩れていく。

勝己は祭壇に祭られた出久の角を咥えた。崩壊する社から逃げていくヒトに背を向けて山へと駆けていく勝己を、ヒトは誰も追わなかった。

 出久といつも一緒にいた寝床へ、勝己は帰ってきた。ヒトに嵌められた枷がじゃらじゃらと音をたてる。勝己の手には、取り返した出久の角があった。
 勝己は寝床の傍に膝をつき、穴を掘り始めた。深く、広く、出久がゆっくりと眠れるように、土に爪を立てる。出久の角を傍に置いて、勝己はひたすらに土を掘った。出久の寝床よりも広く、深く掘った。

「……、」

 勝己の爪に何かが当たる。岩にしては柔らかい。

 強い死臭がした。

「…………」

 触れたのは死骸だった。他の誰でもない、自分の死骸がそこにあった。
 胸を射抜かれ、腹を刺され、傷だらけの身体が横たわっている。

「……いずく」

 傍には出久の死骸もあった。引き裂かれた皮は継ぎ接ぎに合わせられ、ボロボロの角が頭についている。

 勝己が傍に置いていたはずの角は、小さな欠片であった。出久の死骸にある角の欠け落ちた部分に、その欠片はぴったりと合わさった。

 強い風がふき、勝己に憑りついている出久の白いボロ布が翻る。継ぎ接ぎの皮膚とボロボロの角が、布の陰に見えた。出久はヒトの真似事をしていたのではなく、ただ、傷だらけの身体を勝己から隠していただけだった。

「かっちゃん、もういいよ」

 立ち上がり呆然とする勝己へ、出久は声をかける。

 強い風が不自然なほど無理矢理に、勝己の作った穴を埋めていく。
 土に濡れた爪を洗うように、風が勝己にまとわりついていく。ボロボロだった服も、最初に身に纏っていた冬支度の衣へと戻っていった。

「もう、いいよ」

 勝己は出久に振り向いた。緋色の瞳が出久を捉える。
 出久は身を縮めて目を閉じ、願うようにもう一度呟いた。

「もういいんだ」

 自分の声が勝己に届くように、出久は願う。神様が本当にいるのなら、どうか、どうか。
 勝己はぼんやりと出久を眺めて、呆れたように口角を上げた。出久が大好きな、馬鹿なことをしている出久を見守る時の顔だった。

「なんだ、そのカッコ」

 ビュウ、と二人の間に冷たい風が過ぎて行く。出久は何も言えなかった。何を言っても、勝己には届かないことが分かっていた。

「おまえ、死んだのか」

 勝己は今までのことが無かったかのように、出久へ腕を伸ばす。
 
「なんで」

 出久は俯いて、自分の身体をすり抜けていく勝己の腕を見つめた。

 勝己は繰り返す。出久の死骸を探して山をめぐり、村へ降り、ヒトを襲う。村へ残った出久の身体の欠片を取り返しては、穴を掘り、出久へ返す。
 出久を嬲り殺したヒトへの怒りと恨みで魂が穢れた勝己は、悪霊となり、村への報復を続けている。

「かっちゃん、」

 出久が声をかけても、勝己には届かない。 
 精霊を失った山は荒んでしまった。命の巡りが崩れ、村も貧しくなった。
 それでも、勝己はヒトを許さない。出久の身体を探して、山を、村を彷徨っている。

 繰り返して、繰り返して、もう村には出久の身体は何も無い。ついに持ち帰るものがなくなった勝己は、継ぎ接ぎの出久の死骸の前に膝をつき、その頬を撫でる。

 出久の身体は殆どが揃っていた。皮の欠片ひとつ残さず、勝己は取り返して出久へと返した。それでも、ヒトに喰らわれた血肉だけは、勝己がヒトを喰らったところで出久に返すことは出来なかった。

「かっちゃん……」

 勝己は出久の死骸の唇に指先を当て、ゆっくりと乾いたそれを撫でた。何を想うのか、目を細めて死骸を見つめる勝己を、出久は傍で見守る。

「いずく……」
 
 勝己は出久の死骸へと顔を寄せ、ゆっくりとキスをした。思いもよらない行動に息を呑む霊体の出久を置き去りにして、勝己は出久の死骸を撫でる。

 慈しむようなその瞳に、出久はどくどくと身体が熱くなっていくのを感じた。無くなったはずの心臓がばくばくと沸き、顔が熱くなる。

「ぁ、え、」

 パキ、と音がなり、勝己が我に返ったように霊体の出久を見上げた。
出久が後退り、枯れ枝を踏み抜いた音だった。「え」と出久も驚いて、さらに後ずさる。具現化した足が、パキパキとまた枝を折った。

「いずく?」
「っ、かっちゃ……」

 勝己は立ち上がり、白いボロ布の出久へと手を伸ばす。土に濡れた鋭い爪が、出久の頬に触れた。出久がその手に自分の手を重ねる。確かに、勝己の手に触れることが出来た。

「なんで」
「クソデク……勝手に死にやがって」
 
 勝己は白いボロ布ごと、出久を強く抱きしめた。身動ぎひとつ出来ない強さで抱え込まれ、出久の足先が地面から少し離れる。

「ごめんね」
「……クソが」
「うん、ごめん。キミまで巻き込んで、こんなにして」

 勝己はずっと、出久がヒトと関わることに反対していた。出久はそれを杞憂だと思い、自分がヒトに出来ることは何だろうかといつも考えていた。ヒトと友人になりたかった。森と村が共に生きていくために、それが最善だと出久は信じていた。
 ヒトにとって出久は、山に住む化け物のひとつにしか過ぎなかったのだ。村を豊かにする力を持っているから、友好的になっていただけだった。それが得られなければ、生きている価値もない。

「ごめんね」

 出久は自分の驕りで勝己を死なせてしまったことに、強い心残りがあった。自分の自業自得によって、勝己は痛めつけられ、傷だらけになって肉体を失い、山を彷徨う悪霊となってしまった。正気に戻った勝己に抱きしめられながら、出久はようやく自分の魂の消える準備が出来たことに気付く。

「ありがとう」

 勝己の身体は自分ほど痛んではいない。きっと癒せば、元に戻れる。

「元気でね」
 
 出久の言葉に勝己の腕の力が緩み、出久は動かせるようになった腕を上げて、勝己の頬を両手で包んだ。先ほどの勝己と同じように、勝己の唇に自分の唇を合わせる。ふわふわと温かい気持ちだった。
 [大好きだよ]と、先ほど気付いたばかりの気持ちを、キスに乗せる。

「……っ」
「ン、?!ぅ……っ」

 離れて消えていこうとする出久の身体を、勝己は再び抱え込む。合わさった口をより深く重ね、薄く開いた出久の口の中へ舌を入れた。ぬち、と音がなり、勝己の唾液が出久の中に注がれていく。

「ふ、ぅ……、は……ッ」
 
 チカチカと目が回るようだった。出久は勝己が口内を嬲りながら、唾液と共に霊気を注いでくるのに身体を固めてぐっと耐えた。それはヒトに食われた出久の血肉のものだけでなく、勝己のものも混じっているようだった。

「は…ッ!ま、って……!んむっ」

 勝己のヒトへの怒りと恨み、食われたヒトの無念が、出久の中に広がっていく。成仏しようとしていた出久の魂はみるみる汚されて、この地に囚われていく。

「また一人で行く気か?」

 勝己はようやく口を離して、くたりと身体を預ける出久を見下ろして笑った。

「許すわけねぇだろ」

 勝己はまた出久の口を塞ぐ。出久の魂を縛り付け、染めていく。

 数百の年を越えた。山は元の緑を取り戻し、豊な命を自由に広げている。

「だめだよ!」

 少年が二人、山道を進んでいた。しめ縄で塞がれた道を潜り抜け、活発な子どもが我先にと前を進んでいく。

「この先、行っちゃダメだってお婆ちゃんが言ってた!」
「平気だって」

 一人はしめ縄で立ち止まり、先に進むもう一人を引き留める。虫取り籠を抱えてその場でバタバタと足を踏み鳴らし、なんとか呼び戻そうと声を張る。

「危ないんだって!」
「脅かしてるだけだろ、気をつけるからへーきだって!」

 しめ縄で立ち止まった子どもを置き去りにして、少年は一人先に進んでいく。山道は徐々に道を失い、草木に覆われていった。こんな場所なら、きっと見たこともない虫がいるはず。期待に胸を膨らませた少年は、木の幹を見上げながら先を進む。

 ぴちゃ

 ぴちゃ

 水の滴る音がした。
近くに洞窟があるのかもしれない。ひょっとしたら、秘密基地に出来るかも。少年は心を躍らせながら、森の中を進む。

 ぴちゃ

 ぴちゃ

水の滴る音と共に、鉄のような生臭いにおいがした。

 ぴちゃ

 ぴちゃ

いやな気がして、少年は足を止める。

 ぴちゃ

 ぴちゃ

音がずっと、すぐ傍で聞こえ続けていることに気付いた。
ずいぶんと進んだはずなのに、大きくも、小さくもならない。

 ぴちゃ

 ぴちゃ

「な、なぁ!」

 ぴちゃ

 ぴちゃ

「聞こえる?!」

 ぴちゃ

 ぴちゃ

少年は振り向いて、置いて来た友だちに声をかけた。

 ぴちゃ

 ぴちゃ

返事はない。怖くなって逃げたのか。

「弱虫め」

 ぴちゃ

 ぴちゃ

少年は元に戻ろうとして、はて、自分がどこから来たのか分からなくなっていることに気付いた。

 ぴちゃ

 ぴちゃ

「なんなんだよ」

とりあえず、元来た方向へ歩き始めて見る。

 ぴちゃ

 ぴちゃ

水の音は鳴りやまない。鉄のようなにおいも、ずっと何処かから漂ってくる。
辺りは背の高い針葉樹林に覆われ、太陽の光を遮り薄暗く、湿っぽい。

 ぴちゃ

 ぴちゃ

少年は虫の声ひとつ聞こえないことに、ようやく気付いた。風すら止まり、木々の揺れる音も聞こえない。

「ぁ、」

 ぴちゃ

少年が瞬きを一つすると、目の前に白くとがった何かが並んでいた。

 ぴちゃ

鉄のにおいがする。

 ぴちゃ

白い何かは少年の視界いっぱいに広がり、所々に赤いものがついている。

 ぴちょ

足に水のあたる感覚がした。少年の足には、黒ずんだ赤い水が跳ねていた。

 ぴちゃ

血だ。目の前のナニかから垂れている。

 ぴちゃ

歯だ。少年を丸呑みするほど大きな口が、目の前に開いている。

「ッ、」

ぱさりと、少年が握っていた虫取り網が地面へと落ちた。
少年は目を見開いて硬直している。

 ぴちゃ

化け物は口をあけたまま少し顔を傾け、怯える少年を視界に入れた。
鈍く光る緋色の瞳が少年を射抜く。

 ぴちゃ

「だめだよ」

少年の耳には、確かにそう聞こえた。
化け物からではなかった。その声は、少年の耳の傍で聞こえた。カタカタと震える身体を捻り、少年は視線を越えのする方へと向ける。

ヒトの皮をかぶったナニかのように見えた。
生気のない、眼球のぬけたヒトの顔があった。

「ヒ……」

虚ろな眼窩の中から、ヒトではないナニかが覗く。
ケモノの目だ。萌黄色に光る瞳に黒い瞳孔が横長に伸びて、まるで羊の目のようにぎょろぎょろと、少年を見つめる。

「こっち」

ナニかが、少年に向かって話す。

「あ、ああああああああ!!」

 堰を切ったように、少年は身体を捩り、転げまわりながら走り去っていった。山道の方へと走っていく様子を見送り、勝己と出久は姿を元に戻す。

「脅かし過ぎだよ」
出久が勝己を嗜めると、勝己はふんと鼻を鳴らして、崖際で胡坐を組んだ。

「どうせこの先行ったら落ちて死ぬんだから、新鮮な肉食ってやった方がいいだろ」
 
 勝己は少年が走り去っていった方を嘲笑う。草木に覆われて先の見えないこの先は、切り立った崖になっていた。あと一歩進めば奈落へ落ちるというところで、勝己は大きな口を開け、欠伸をする。

「やっぱあの一族はだめだ。食った方がいい」

 少年はかつての村長の末裔であった。村の飢饉の際に、山の守り神を喰って怒りをかったと言い伝えられている。

「よその血と混ざってだいぶ良くなってきてるから、きっと大丈夫だよ」

 出久は勝己の傍に座り込んだ。勝己は出久の顎を掴み、キスをする。

「ん……」

 少年を脅かしながら少し喰らってやった少年の魂を、勝己は出久へと注ぐ。
出久は美味しそうに目を細め、勝己へと寄り添った。

 山の奥地のとある村では、古くからの言い伝えがあった。
 裏山には狼と羊の物の怪が住んでいる。
 村に住まうヒトビトは、山の恵みを頂くことに許しを乞いながら、ひっそりと暮らしている。

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