1.通院
瞬きをするたびに、瞼の裏で見ている。
オールマイトと出会ってからの毎日がページを捲るように浮かぶ。
何度も最終回のページまで読み終えて、何度も最初のページに戻って読み直している。
僕のヒーローとしての物語。最初はとても分厚い本を持っていたつもりだったけれど、瞬きをするたびに、あっという間の物語だったなと実感する。
オタクながらに色々な漫画や本を読んで、その度に「続きが読みたい、終わらないで欲しかった」なんて思っていた。
でも、終わったものに続きなんてないんだ。あるのは余白だけで、その先は妄想でしかない。
「…………、」
カーテンの隙間から差し込んだ月明かりが、寮の部屋の天井を薄く照らしている。
青山くんは隣の部屋からいなくなった。
時々、またベランダに何かあるんじゃないかって気持ちが湧く時があるけど、そんなことも起きやしない。
瞼を閉じる。小さい頃は、オールマイト伝説の続きが読みたいって強く願って眠って、夢の中でオールマイトに出会ったりも出来ていた気がする。
続きがみたい。瞼の裏の物語の、余白の向こうが見たい。
「無個性になるんだから、ヒーロー科は流石に転科が必要なんじゃないか」
「それなりに貢献したんだから、卒業だけでも出来ないもんなのか」
「ヒーローってそういうもんじゃないだろ、栄誉賞かよ」
「そもそも、仮免許も返上しないとな」
「もう活動出来ないからなぁ」
「元気だせ、戻るだけなんだから、新しい道を探せばいい」
先代たちが僕の心を見透かして自由に会話している。全部妄想だって、分かってる。
個性を持っていた頃は日中だって会話出来ていた。でも、あの闘いが終わってからは1度も、覚醒した状態で先代の姿や声を感じることはない。
気絶したり個性にのまれた時とも違う。ただ生温く続く先代の雑談を、僕は見ているだけ。
だからこれは、僕の夢で、ただの願望。記憶の中で縋っているだけ。
分かっているのに、毎晩のように見る。僕の頭の中で僕だけが作り出しているから、答えなんで出てこない。
「寝不足なんか?」
「え?」
「ボケっとしとる」
「そうかな……いや、眠れてるよ」
かっちゃんは座席から僕をじっと見上げて、「クマはねぇな」と小さく呟いた。
かっちゃんの頭上の窓ガラスに自分の顔が薄く映っている。
別に普段と変わらない。顔色も悪くないと思う。
バスが大きく揺れて止まり、背後の扉が開いた。
目的の病院前の停留所だ。
「あ、おい」
かっちゃんの膝の上のスクールバックを取ってバスを降りる。
「はい」
「……」
後を追ってバスを降りてきたかっちゃんにバッグを返す。
少し不満そうな顔をしながらも、罵倒はされずにバッグは左肩に戻っていった。
「出久は今日で最後なんだろ」
「うん、検査の結果問題なければだけど」
流石にかっちゃんの通院は長く続くだろうな。
右腕の再生治療がはじまって、最近は痺れと戦っているらしい。
神経が元に戻って、感覚が回復しはじめている証拠。けど、四六時中腕から指先まで痺れていて、意識と関係なく強張ることもある。
かっちゃんが右腕を庇ってこっそり脂汗をかいている時があるのを、A組の皆は知ってる。
心臓のことだってある。かっちゃんが苦しむたびに、今はどこが痛むのか、自分たちには何が出来るのか、僕らは気が気じゃない。
「だそうか?」
外来受付は混雑していて、待合席も2つ並んで空いている席は無さそうだった。
受付にさっさと向かうかっちゃんを追って声をかける。
「……ン」
肩紐を広げたかっちゃんが身体をコチラに向ける。
近づいてバッグのファスナーを開くと、綺麗に整頓された中身が見えた。
「保険証コレだったよね」
「診察券も一緒」
かっちゃんの財布はファスナー式の革の物から、薄いボタン式のビニールポーチに変わった。
ファスナー式の財布だと、左手で持って右手でファスナーを開かないといけないから。今のかっちゃんには使うことが出来ない。
このポーチだって、どこかに置いて押さえながら開けるか、口を使って開けることになる。
「予約の爆豪です」
ポーチから診察券と保険証を出して受付に渡す。
ついでに自分のリュックからも診察券と保険証を出すと、お姉さんは手際良く4枚を回収してパソコンへと何かを入力している。
「緑谷君は次の時間だね」
「はい」
主治医の先生が同じだから、前後で組まれたんだろう。
学校帰りに直行して丁度いい時間に入れてもらえてありがたい。
「俺の診察にコイツも付き添います」
「え」
「じゃあ一緒に呼ぶね」
後ろに立つかっちゃんへ振り向いて、鞄に財布を戻しているとそんな声が頭上で聞こえる。
「なんで?」
「寮生活だと保護者以外にも状況知っとるヤツがいるだろ」
「ぼく?先生じゃなくて?」
「出久のが同行しとる時間が長い」
「それは…そうだけど」
バッグのファスナーを閉じると、丁度後ろの席が2つ空いたところだった。
かっちゃんは席にバッグを置いて、マフラーを解く。
「聞いちゃっていいの?」
かっちゃんのコートのボタンに手を伸ばすと、頭に左手が乗せられて押し除けられた。
「それは外せる」
「あ、ごめん」
器用に片手でボタンを外してコートを脱ぐと、かっちゃんはさっさと席に座る。
僕もリュックを席に置いてコートを脱ぐ。左手で生地を掴んで右手でボタンを外す。
「聞かせるために時間合わせた」
かっちゃんは膝の上でバッグを台にして、器用に左手でコートとマフラーを畳んでいる。
小さな間が僕の心臓をうつ。僕も両手でコートを畳むけど、リュックと一緒に抱えたら結局ぐちゃぐちゃになってしまった。
「イヤならいい」
「…や、じゃないよ。聞きたい」
かっちゃんだって、A組の皆が気にしているのを知っているんだから、その穴埋めに僕を選んでくれた、のかな。
知りたがっている僕らへの歩み寄りなのか、ひょっとして僕を頼ってくれているのかも、とか。
なんにせよ嬉しくて、これから大事な話を聞くから心構えなければいけないのに、上がってしまう口角と熱を持っていく顔をリュックの上のコートに埋めた。
「よし、そろそろ運動療法だね」
「はい」
先生と話をするかっちゃんの後ろで、小さくなってその話を聞いている。
お母さんがよく座る場所だ。今日はお互いに保護者同伴無しで済むレベルの通院だと思ったら、こんなことになるなんて。
「最初はウォーキングに少しランニングを混ぜるレベルからね」
「はい」
運動が出来るレベルまで回復しているんだ。よかった。
かっちゃんは僕を、皆を安心させるために呼んでくれたのかもしれない。
「1人では運動しないでね」
心臓がボロボロになるって、どんな感じなんだろう。
そこから数ヶ月で走れるようにまでなるなんて、本当にすごい。
「コイツが一緒に走ります」
「…えっあ、はい!走ります、一緒に」
かっちゃんは横目に僕を見て、表情を変えずに先生へと視線を戻した。
どういう感情なんだ。今までそんなの、誘われたことすらない、のに。
でも、だからって1人で走られるのはイヤだから、よかった。
「そう。じゃあ、緑谷君にも知っておいてもらうべきだね」
「はい…?」
「爆豪君の心臓には再生・活性の個性を強くかけているから、血管の中が狭くなりやすい状態でね」
「大丈夫なんですか?」
「今の治療をしている間だけね。血管が狭いと、運動したりしてポンプの動きが激しくなったら追いつかなくなるかもしれない」
「それじゃあ、運動しない方がいいんじゃ…」
「回復のためには動いた方がいいんだ。だから、ちょっとずつね」
かっちゃんは僕と先生の会話を聞いているのかいないのか、自分の検査結果をじっと見ている。
しばらく同じ階で入院していたけど、かっちゃんの心臓の画像を見るのは初めてだった。
手術の跡はこの画像ではよくわからない。けど、先生にはきっと、危険だと思うところがいっぱいあるんだろう。
「で、もしそうなって爆豪君が苦しみだしたら飲む薬がこれね」
「ニトログリセリン?」
「うん、これを舌の下で溶かす。水で飲まずにね」
先生は薬の効果を教えてくれている。心臓の血管を拡張するらしい。
かっちゃんを横目に見ると、耳が赤くなっているのが見えた。やっぱり。
「…んだよ」
「いやぁ…ニトロだから…」
「あぁ、爆豪君の汗でもいいかもね、成分が近いから。でもこっちのが手軽でしょ」
かっちゃんはそっぽを向いて先生の話を聞いている。相変わらず耳が赤い。
恥ずかしがるところなのかは微妙だ。だってすごい。かっちゃんの個性って、薬にもなるんだな。改めて、ヒーロー向きの凄い個性なんだな。
「昔さ、」
「あ?」
僕の診察も無事終わって、2人で薬局に移動して薬の処方を待つ
これが終わったら今日は一緒に実家に帰る。
金曜日の夜はそうやって実家に帰る人が増えた。平日の間は寮で暮らして、週末だけ実家に戻る。
「君が個性発現してすぐの頃、僕の口に手入れてきてたじゃない」
「…」
「僕あれクラクラして変だったんだけど、薬になるなら納得だなって」
「…また入れてやろーか」
「えっやだよ」
外来の時間が終わったからか、薬局には僕らだけ。
デクもいいこせーがでるかも!って、あの時のかっちゃんは僕の口に手を入れてきてた。
そんな昔のこと、かっちゃんは忘れてるかもなって思ってたけど、そうでもなかったみたい。
「…あの、」
薬局の自動ドアが開いて、男性が入ってきた。
大人しそうな、優しそうな人。
「デクと、ダイナマイトですか」
「え、あ」
「お礼を言いたくて」
慌てて周りを見回す。他に人はいないようだ。
別に、これが初めてではないけど。なんとなく緊張してしまって、慣れない時間がはじまる。
「あなた方に救われました。本当にありがとう」
「いえ、その、ご無事で何よりです」
「握手をしても?」
「あ、はい」
男性は僕の右手を両手で包むように握ると、目を閉じて祈るように軽く持ち上げる。
かっちゃんはそれを横目で見ると、眉をひそめてそっぽをむく。
「光栄です。デクにこうして直接お目にかかれるなんて」
「そんな」
かっちゃんはこういうの特に苦手そうだ。
確かに僕も得意ではないけれど、かっちゃんは不得意以前に嫌って感じ。
「ありがとう」
「…はい」
男性は優しく笑って、僕の手をそっと手放した。
包まれた手の温かさと同じくらい、胸も温かくなる。
ありがとう。
ヒーローとして言われるのは、あの戦いの事が最後なんだろうな。
だから、というのも変だけど、大事にしたい。忘れないように、伝えてくれた人たちのことをしっかり刻んでおきたい。
「ダイナマイトも、その」
「怪我してるんで、スイマセン」
「…そうですか」
かっちゃんがそう断ると、男性はさっさと去っていった。
かっちゃんの戦いも、映像があるそうだけど、まだ見れていない。
見たいし、見ておかなくちゃと思うけど。
「かっちゃん、失礼だよ」
「うっせ」
大・爆・殺・神つけなかったから怒ってるのかな?とも思うけど、そうでもないらしい。
かっちゃんは病院を出て行く男性の背中を睨むように見ている。
「爆豪さん」
「あ、はい!」
かっちゃんの財布を持って立ち上がると、後からかっちゃんも着いてくる。
ニトロ以外にもたくさんの薬が処方されて、かっちゃんの鞄はいっぱいになった。
毎日薬を飲むのだけでも、大変だろうな。
2.寄り道
問題児2人が朝に並んでランニングをし始めたというのは、すぐにクラス中に知れ渡った。
朝活を一緒にやるなんて随分と楽しそうな事だ。
混ざりたがる連中はそこそこに居たものの、爆豪にあっさり却下されていた。
「ごめんね」
俺が驚いたのは、それを緑谷が咎めなかったことだ。
みんな一緒に、とか言いそうなやつが爆豪の隣で眉を下げて申し訳なさそうに笑うだけだから、俺らは入る隙が全く無いことをその時点で理解した。
まあ大所帯になって目立つと、爆豪と轟に人が群がりかねないし。
疎外感を持たなかったわけではないが、爆豪が走れるようになったって事実と、その隣に緑谷が付き添ってる安心感に嬉しさの方が勝る。
授業中に相澤先生が爆豪に目を向ける回数も徐々に減ってきた。緑谷はすぐ後ろだからその視線に1番最初に気付いて、緑谷の青ざめた顔と今にも立ち上がりそうな慌てように俺らも釣られて焦っていた。
なんでもない時にまで緑谷が挙動不審に心配するから、俺らもつい釣られてしまう。爆豪はその度にキレていたけど、まあ仕方なかったと思う。一回死んでるしな。
今では爆豪の不調に緑谷が焦ることもなくなった。
「出久」
チャイムが鳴ると同時に爆豪が振り向いて緑谷の席に身体を向ける。
「うん。行こ」
授業を終えた先生よりもはやく教室を出て行く2人を見るのも慣れた。
授業のノートと教科書は机の上に出されたまま。10分の休憩のうち8分くらいで帰ってきて、2人して机を整えてしれっとまた次の授業を受ける。
「休憩しにいってるだけだよ」
最初は蜜月だなんだって揶揄ったもんだけど、緑谷は顔を真っ赤にして慌ててそう否定した。
「休憩ってなんだ。フリータイムもあんのかよ」
「へ?」
峰田が堪らずに突っ込んでたけど、2秒後には爆破されてた。
緑谷が意味が分かっていないようでよかった。
「ほっとけ」
爆豪は慌てる緑谷を放置して席に座る。
緑谷はその背中に目を細めて、少し落ち着いたのか峰田をいなして自分も席に座る。
そんな光景が出始めてから、爆豪が1人でどっかに消えることもないし、相澤先生が爆豪に声をかけることも無くなった。
とどのつまり、爆豪の不調に緑谷が付き合ってるってことだ。
緑谷なら週末も実家が近いから一緒にランニングしてるんだろうしな。登下校まで一緒のやつが対応出来るなら、そりゃ大人は安心するだろうな。
とは、まあ、ギリギリ理解出来た問題児2人の関係性の変化で。
「かっちゃん何食べる?」
「辛ダブチ」
「また?」
爆豪はレジ上のパネルを見上げる緑谷が背負うリュックを勝手に開けて、手を突っ込む。
緑谷も特に気にした様子はなく、ガサゴソされる背中を受け入れてパネルを見上げ続けている。
「えっ」
口を開きかけた上鳴の肩を掴んで黙らせた。
リュックから出てきたのは爆豪の現金用財布だ。緑谷はパネルを見上げ続けたままそれを受け取っている。
「そんなに気に入ったの?」
「前食わせてやっただろ」
爆豪が緑谷のリュックから緑谷の財布も出している。
そんなことをしているうちにレジの順番が回ってきて、爆豪は緑谷の肩越しに店員へと注文を伝えた。
緑谷はレジに表示された金額を爆豪の財布から出す。ジャラジャラ入った小銭も慣れた様子でトレーに出していく。
「ン」
「ありがと。次、僕も注文いいですか?」
「あ、はい」
店員は少しだけ間を置いて緑谷の注文を受けた。
緑谷の財布が爆豪から緑谷へと手渡され、流れるように爆豪の財布は緑谷のリュックの中へと戻っていく。
「……」
いやいや。なんで緑谷の鞄に爆豪の財布が納まってんのよ。
右手使えないからね?
左肩に掛けられたスクールバッグから爆豪が自分で財布を出すのは、そりゃ大変でしょうよ。
で、緑谷のリュックに納まることになったの?え?なんで?
「……」
今にもツッコミだしそうな上鳴を切島と一緒に抑える。
「席先とっとくね」
「おー……」
札を乗せたトレーを抱えて此方を振り返る緑谷越しに、爆豪と目が合う。
涼しい顔したヤツは少し目を細めて俺たちに順番に目を合わせると、さっさと店の奥へと消えていった。
「なぁ…」
「…えー?」
余計なこと言うな…ってコト?
「俺サラダと紅茶にしようかな…」
「俺も……」
胸がいっぱいどころか、胸焼けしてきた。
ポテトLいこうとしていた育ち盛りの食欲をどうしてくれるんだ。
「アイツ、スマホ決済いつの間に辞めたの…?」
上鳴が店員に豆のサラダを頼みながら呟く。
辞めてねーだろ。昼間も学校で自販機にスマホかざしてただろ。
病院が未だに電子決済が一切使えないだとかで、キレ散らかしながら100均でポーチを買ってたのは記憶に新しい。
小銭の取り扱いが特に億劫らしくて、小銭はコンビニで電子マネーに全部変えてた…はずなんだけど。
「流石だな…?」
切島は混乱した様子でトレーを抱えて立っている。
2人は店の奥に消えていって此処からは様子が見えない。
どうしよう。席隣同士で座ってたらどうしよう。
頼むよ緑谷、バーガーはアイツ1人で食べられるから。この前食べてたから。
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「瀬呂くん、今日の実技凄かったねぇ」
「お、見てくれたの」
「うん!動画撮っとけばよかったよ」
見事に不安が的中して隣同士に座る問題児2人を見た時はサラダも食べられるかどうかってところだったけど、爆豪が普通に自分でバーガーを食べ出してようやく俺たちの緊張は開放された。
俺の個性の使い方を活き活きと振り返る緑谷を爆豪は黙って見ている。いいのかこれ、俺あとでシメられたりする?
「デク」
隣の席に座ってきた女性が緑谷に声をかける。
「あ、はい」
「デクですよね、やっぱり」
緑谷は両手で抱えてかぶりついていたバーガーをトレーに置いて、包みを少しかぶせた。
女性に身体を向き直して、伸ばされた手をとっている。
「デクとお話できるなんて」
女性は緑谷の手を両手で包みながら、少し声を震わせている。
爆豪はその様子を横目に見ながら、緑谷がトレーに放置したバーガーをスルスルと回収して無言でかぶりつく。
「あの、えっと」
緑谷はこの時間があまり得意ではないようだ。
校内でも声をかけられる度にしどろもどろに対応している。
相手の個性の話になった途端に饒舌になるから、最近では緑谷と話をしたいやつは自分の個性についてまず話すようになった。
まだ校内でジワジワ広がっている段階の緑谷攻略法なわけだけど、そのうち校外にも広まるんだろうか。
「私、うれしくて、ほんとに」
爆豪と轟のファンに比べて、緑谷のファンはこんな人が多い気がする。
大人しいっていうか、熱量のベクトルが違うっていうか。
緑谷のキャラクターには合ってるんだけど、独特だよな。
ワーキャー言われたらそれはそれで誰かさんが荒れそうだから、よかったんだろうけど。
「デク、あの…今無個性って、本当なんですか」
「え、あ」
グシャ、と爆豪の握る包装紙が潰れる音がした。
「あ、かっちゃん!僕のやつ!」
「あ?オノコシじゃねーんか」
「違うだろどう見ても!」
オノコシってなんだよ。お前人のお残し食べるキャラじゃねーだろ。
爆豪の盗み喰いに気付いた緑谷が慌ててこっちに向き直って、女性の手の中から右手がすり抜けて戻ってくる。
爆豪の手から包みを取り戻した緑谷は両手でそれを抱えて、中を覗き込んでキッと爆豪を睨みつけた。
入学当初からは想像もつかない様子だ。全部食べられたのか…
「スミマセン…」
切島が女性に小さく謝る。
その声にはっと気づいた緑谷が女性を再び振り返った。
手をわたわた慌てさせるものの、再び握手するようなタイミングでもない。
「あっ、すみません、えっと」
「いえ、お食事中にすみませんでした」
女性はさっさと席を立つと、トレーを抱えて去っていった。
爆豪がその背中をじっと睨んでいる。
そんなに睨むことないだろ、とは思うけど、その気持ちも分からなくはない。
「かっちゃん!また失礼なことしちゃったじゃないか」
「しつれーなのは向こうだろ」
元々無個性って話も、そんなに出回っていないはずだし。まだ残り火はあるから、無個性になったって話も少し違う。
トレーの上にあったコーヒー1杯は、飲まなくてよかったんだろうか。
まあ、あのまま隣にいるのは気まずいだろうから、席移動しただけかも。
「もう、今度奢ってもらうからね」
「スパチキでいいか」
「ダメに決まってるでしょ!なんで自分の好きなのにするの」
またとる気じゃんか!と文句を言う緑谷に爆豪が満足気に笑う。
緑谷の「かっちゃん」が店内に響いたからか、他の客の視線が俺達に集まる。
ダイナマイト、と囁く声が聞こえてきて、爆豪の眉間に皺が寄った。
「…出るか」
やっぱ校内の方がまだ、コイツ等とは落ち着いて飯が食えるかもなぁ。
飯田がいればファンの制御も効くし。
寮の談話室が一番落ち着く。クラスの奴らしかいないし。
「かっちゃん、プロになるんだから、ファンサ覚えなきゃ」
緑谷は小言を言いながら立ち上がった爆豪に鞄を渡している。
爆豪はその言葉に少し眉を顰めて、「うるせぇ」と反抗期みたく呟いて顔を背けた。
プロになるんだから、なぁ。
爆豪の体調と同じくらいに、むしろ今はそれ以上に気になってることだ。
爆豪の怪我が時間の経過と共に良くなっていって、緑谷の残り火はどうなったんだろうか。
時間経過で消えていくのか?使えば使うほど消えるのか?
緑谷がファンから声を掛けられるたびに、なんとなく、何かを笑って誤魔化しているように見える時がある。
緊張を誤魔化してるなら、ずっといいんだ。
緑谷は、ファンサをどんな気持ちでやってるんだ。
緑谷はこれから、どうするんだ。
爆豪が緑谷を連れ回しているうちに、爆豪ならなんとかするんじゃないかって、俺らは…少なくとも俺は、期待している。
どうやって、とか全く分からない。
ただ、緑谷が自分の将来を名言しないで、誰にも弱音を吐いていないようなのが、俺達も苦しい。
だから爆豪は敢えて緑谷に自分の世話を焼かせているのかもしれない。
また思いつめてどうにかなる前に、捕まえて吐き出させる存在がいるだろうしな。