「今でよかったですよ、ほんと」

捲り上げていた袖を戻して手首のボタンをとめる。
長袖の先から出た手指は言われてみれば分かるくらいには細くなっているけれど、傷だらけでボコボコしているおかげかそんなに気にならない。

「んーでも、念のため使わないでね」

「はい」

オールマイトは僕の肩まで上げた腕をピタリと止めて、そのまま下ろした。

女生徒の身体に安易に触れない方がいいと思ったのかもしれない。
そんな壁が出来てしまうなら、この身体は嫌だな。今まで男でよかった。

「…面白い個性ですよね、自分じゃなくて相手の体組織をここまで大幅に変えちゃうなんて」

「まぁねえ」

効果はおよそ1週間前後らしく、対象者の代謝量によって誤差があるんだとか。

(デクなら運動量も多いだろうから、はやいと思います)

僕に誤って個性をかけた女性はそう言っていたけれど、下手に出回って咄嗟に個性を使ってしまっては危ないので、結果として1週間待機することが採用された。
寮の部屋で筋トレすることは出来るだろうけど、汗をかいたらシャワーは教職員寮まで借りに行かなければならないし。

「爆豪少年には言わなくていいの?」

「OFAは関係ないですから」

ブレザーを羽織ってしまうと、窓ガラスに映る僕のシルエットはいつもと何も変わらない。
肩に触れると小さくなった肩幅の分だけ浮いているのが分かるから、触られないように…距離をとれば、大丈夫かな。

「言っても怒られるだけですよ」

「そうかなぁ」

今までの関係が酷かっただけに、僕達は今ようやく、普通の幼馴染の関わり…を模索しているところなんだと、思う。
他の同級生と同じように会話することも出来るし、実家に帰る時は一緒に帰ったりもする。

「そうですよ」

けど、時々かっちゃんは条件反射みたいに僕を拒絶する時があって、「距離をとれ」は今でもよく言われる。
まあ、関係が酷くなったきっかけも、きっと僕のそういう「条件」があったからなんだろうな。

直せるものなら直したいけど。飛び退いた後のかっちゃんはいつも気まずそうに…苦虫を噛んだような顔をして謝るから、僕もそれ以上は踏み込めずにいる。

「ボケっとしてんじゃねェ!とか」

「あー言いそうかも!」

オールマイトは明確にイメージが浮かんだのか、楽しそうに小さくくすくすと笑った。
僕もつられておかしくなってくる。言いそう…というか、絶対言うだろうなぁ。

「かっちゃんの小言は地味に長ー」

ガラ、と扉の開く音に、僕とオールマイトの笑いが凍りつく。
案の定青筋を浮かべた幼馴染がそこには立っていて、頭上でオールマイトの乾いた笑い声が搾り出されるのが聞こえた。

「…ヒトのことハブったうえに陰口とはなァ…?」

「ちが」

「ほー…」

かっちゃんは後ろ手に扉を閉めて、鍵をかける。
僕を刺していた目線はゆっくりと頭上のオールマイトへと向けられ、また僕へと戻ってきた。

「どー違うんか、説明してくれるんだよなぁ?」

頭上からは「アー…」と細く小さく搾り出された声が聞こえる。たすけてオールマイト…

___________________

「でね、見ての通り筋肉量も落ちちゃってるんだけど、OFAはもう殆ど残ってないおかげでおそらく無事なんだ。残り火は感じるから使おうと思えば使えるんだろうけど、何が起こるか分からないからやめとけって。僕もそう思うから大人しくしとくんだ。幸いもう実技の授業は僕もう出てないから、皆には敢えて伝えることもないだろうって。峰田君とか動揺するの分かってるしね。お風呂はね、教職員寮のやつを使わせてもらえるんだ!かっちゃん使ったことある?なんか緊張するよね。だから頻繁には使えないし、変に筋トレとかして汗かくのもやめとこうって。なんか疑われたら、代謝が悪くなる個性にかかったって言うんだ。汗がかきづらくなってるから運動出来ないし、お風呂も危険だから教職員寮で先生の近くで済ませるって流れになってるの。あとはトイレなんだけど、まあ個室使うことにはなっちゃうけどなんとかコソコソやるよ。職員室の側の完全個室のやつも使ってもいいって。いざとなったら行こうかなって思ってるけど、トイレでわざわざ行くのもね。でもさ、僕制服着ちゃえば殆ど変わらないでしょ?声もほとんど変わらないの奇跡じゃない?本当は喉の構造も変わるから女性の声になるらしいんだけど、僕元々声が高めだからあんまり変わらなかったんじゃないかって。ちょっと複雑だよ。ちゃんと声変わりだってしてるのにさ、かっちゃん、違和感あるって言ってたけど、どの辺なの?僕全然わかんないよ。胸だって小さいしさ、身長も変わってないでしょ?女の子にしては柔らかさもあんまりないんじゃないかな、あ、いや、なんか変な言い方になっちゃった、その、元々の筋肉量が比例してるんだと思うんだ、だからゴツい系の女の子の身体というか」

「うるせえ」

オールマイトは別の仕事の時間が迫っていたらしく、かっちゃんの寮部屋へと場所を変えて改めてブレザーを脱ぐ。
流石にブレザーを脱ぐと身体が華奢になっているのが分かるのか、かっちゃんは暫く僕を凝視したまま固まっていたかと思うと、呆れたように息を吐いて俯いた。

顔もそのままで下に女性の身体がくっついていたら、気持ち悪いかな、そういえばそうか。
かっちゃんは僕の事を男として認識しているわけだから、当然そうだ。
今はわりと良好になったとはいえ、少し前まで大嫌いだった僕だし。今も歩み寄ってくれただけで、す、好きになってくれたってわけじゃ、ないし。

「……袖が」

「え?」

「袖が、余っとるだろーが」

「あー、確かに」

「顔もちげーよ」

「えっそう?」

「…………そー」

そうだろうか。ぎょろぎょろした目もソバカスも変わらないし、僕にはどの辺が変わったのか分からないや。
体組織が変化してしまうなら、いっそ別人の女性になりたかったな。

かっちゃんはベッドに座って相変わらず俯いたまま。

「かっちゃん?」

「……上着とけ」

「え」

かっちゃんの足元へと膝をついて顔を覗き込むと、逃げるように左腕で顔を隠されてしまう。
腕の隙間から、少し赤くなっている耳が見えた。

「かっちゃん」

「……」

僕が少し身を乗り出すと、かっちゃんの身体がビクリと固まる。

「ほんとに、耐性ないね」

「おい、」

ネクタイを解いて床に放って、シャツのボタンを外す。

「…さわってみる?」

「い、ずく」

腕の隙間からかっちゃんがこっちを見る。
シャツの中はTシャツを着ているから、裸ってわけじゃないのに。かっちゃんはもっと顔を赤くして後退りした。
あのかっちゃんが、僕にこんな焦るなんて。女性ってすごい…!

「かっちゃん格好いいのに、勿体無いよ」

「っ、遊んでんじゃねぇ」

僕がベッドに乗り上げるとかっちゃんはじりじりと隅に逃げていき、ついにヘッドボードに行手を遮られて顔を背ける。
女性の身体ってだけで、こんなかっちゃんが見れるんだ。
個性にかかってよかった。

「…っ」

「かっちゃん、ほら」

かっちゃんの左手に触れると、小さくびくりと震えて固まる。
かっちゃん、ひょっとしてまだこういうの経験ないのかも。こんなに固まるなんて、なんか、

「お前」

「え?」

「俺が本気になったら、どうすんだ」

僕から顔を背けたままのかっちゃんは、視線だけをちらりとこちらに向けて呟いた。
耳や顔だけじゃなくて首まで真っ赤になっている。かっちゃん肌白いから、目立つな…。

「ほんき」

「……」

「かっちゃんが、ぼくに……」

本気になる…?

「へ……」

「…っクソが」

かっちゃんと僕が、その、本気で、触りあう光景を想像してしまい、僕も目が回ってくる。
かっちゃんが可愛くて、もっと見たかったから調子に乗ってしまった。
そんな、あり得ないって思ってたんだ。だから、そんなこと、

「わーったら距離をとれ」

かっちゃんは少しだけいつもの調子に戻って、いつもと同じように僕の頭を左手で押しのける。
いつも僕にそう言うのも、同じ意味なのかな。

「かっちゃん」

そうだといいな、とか、都合が良すぎるかな。
でも少なくとも今は、間違ってないから。

「ッ、おい…っ!」

顔を覆われた手をとって、Tシャツ越しの身体に触れさせる

「いずく」

「……いいよ、」

脱力したかっちゃんの左手の甲が身体に触れる。
身体を寄せて肘まで身体に密着させてかっちゃんを覗き込む。

「さわって…?」

かっちゃんは僕のささやかな胸に埋もれた手を強く握り込むと、俯いて黙り込んでしまった。

「かっちゃん」

こんなチャンスは2度と無いかもしれないから。
かっちゃんの腕を少しずらして、手の甲を胸に触れさせる。

それでもかっちゃんは動かなかった。真っ赤な顔を伏せたまま、身体を硬直させている。

「……、」

やっぱり本気になんて、なるわけないか。
身体が女性でも、顔も声も僕だし。
そもそも女性になったって、身体は傷だらけだし、色気も何もあったもんじゃないし。

「…、ごめん。気持ち悪かったね!」

抱えていた手を離すと、かっちゃんの腕は呆気なくベッドに落ちた。
終わりにしなきゃ、全部。この時間も、こっそり育ってきちゃったこの気持ちも。

「忘れてー」

グン、と右腕を引かれて、ベッドから上げた腰が中途半端に固まる。
俯いたままのかっちゃんは僕の腕を掴んだまま離さない。

「かっ、ちゃん?」

「……ッあー……クソ……」

かっちゃんに掴まれた腕があつい。
真っ赤になった顔をあげたかっちゃんは、僕の目を真っ直ぐに見上げたかと思うと、そろそろと視線をまた逸らして呟く。

「…最初は、フツーの出久がいーんだよ」

心臓が耳元で鳴っているんじゃないかってくらいにうるさい。
あまりのことで胸がいっぱいで、いっぱいすぎて苦しい。目に浮かんできた涙まで、顔と同じくらいに熱い。

「かっちゃ、」

「…出久」

足の力が抜けてへなへなと床に座り込むと、真っ赤なまま優しく緩んだ顔をしたかっちゃんと目が合った。
僕の腕を掴んでいた手はするするとすべり、僕の右手を握り込んでいる。

今の僕の手は小さくなっているから、いつにも増して大きく感じる。
僕も指先に力を込めると、かっちゃんは嬉しそうに笑って僕の細くなった指を触り始めた。

少しくすぐったくて、ムズムズする。

「…でもぼく、ちょっと気になるよ…。かっちゃんは…?」

「っ、とに、テメーは…!クソナードがッ…!」

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