昔は誕生日を迎えることが苦手だった。
オールマイトのコラボケーキを食べて、欲しかったグッズを買ってもらえる。その楽しさこそあったものの、結局のところ僕にとっては無個性発覚の記念日でしかない。「おめでとう」と言われるたびに、胃酸が喉元まで上がってきそうになった。
僕の顔色が悪くなることを分かっていて、お母さんは誕生日にはとびっきりに贅沢をして、僕にとって良い誕生日であるように用意してくれた。大きくて装飾がたっぶりされたオールマイトのケーキを、気持ち悪い胃の中に流し込んで「美味しいよ」と笑って見せる。

オールマイトに出会うまではそんな日だった。
お母さんは無理矢理ケーキを流し込んで笑う僕を見て、辛い思いをしていたと思う。
ゼリーとかフルーツとか、食べやすいものを提案してくれることもあったけど、僕は毎年デザインの代わるオールマイトのコラボケーキを楽しみたいばかりに、そんな不毛な行為に付き合わせていた。

いっそ1人で過ごしていたなら、誰にも迷惑をかけずに気が楽でいられたのかもしれないな。

ベランダに干しっぱなしになっている洗濯物をハンガーごと取り、そのままクローゼットへ入れていく。
先日のゲリラ豪雨のせいで、いつもの2倍の量がある。エアコンの冷気が逃げていくのが嫌で、途中からはとりあえず部屋の中へと投げ込んでいくことにした。

「…ん?」

下から小さな爆発音が聞こえる。
あらかた大物は取り込みが終わって、あとは小物をピンチハンガーから外すだけのところだった。

段々と大きくなるその音を追って、ベランダから身を乗り出して下を覗き込む。

「わっ!」

目の前に迫る手から飛びのいて、耐性を立て直す。
聞き馴染みのある音だったし、その手も見覚えがあるから、戦闘体勢に移る必要はなかった。

手の持ち主はベランダの手すりを掴むと、そのままひょいと身体を中へと入れて仁王立ちする。

「間抜けな声出すなよ」

「…近所迷惑だぞ、こんな時間に」

「消音仕様だわ」

かっちゃんはベランダで靴を脱ぐと、そのまま僕の部屋へと乗り込んでいった。
心底嫌そうに顔を歪めながら、部屋の中に放り投げられた洗濯物をまたいでいる。

「どうしたの?」

「あ?」

「や、何しに…轟くんたちといるんじゃなかったの?」

「あー…」

大雨の影響で一部床上浸水の被害が起きて、今日予定していた僕の誕生日会は中止になった。
轟くんも飯田くんも何度も謝りながら、昨日の夜には現地へ向かっていった。同級生の皆も殆どが現場入りしていて、かっちゃんもそうだったはず。

「俺がいりゃ十分だっつーのに…、アイツら来っから一時帰宅だわ」

かっちゃんは苦虫を噛んだように顔を歪めながら、部屋の中をズカズカと進んで洗面所へと入っていった。
水の音が聞こえる。律儀に手を洗っているらしい。

「…此処キミの家じゃないけど」

帰るなら、君の事務所の方が近いんじゃないの。
洗濯物をさっさとクローゼットへ投げ入れて、窓を締めた。汗だくの訪問者のために、エアコンの設定温度を下げておく。

「腹減った」

「何もないよ?」

無遠慮に冷蔵庫を開けたかっちゃんは、ガラガラの中身を見て「オワってんな」とこれみよがしに呟いた。
昨日コンビニで買ってきた袋が、カップ麺ごと突っ込まれている。我ながら恥ずかしい。

「ンだこれ」

「あー、」

コンビニ袋の横に置かれた小綺麗な箱。此処に持ち帰ってくるまでに温くなってしまっただろうけど、そろそろ冷えたかな。

「ケーキだよ。先生方に貰ったんだけど食べきれなくて」

「フーン」

かっちゃんは箱を調理台に取り出すと、封を開けて中を覗き込んだ。引き出しを勝手に開けてフォークを取り出しながら「皿」と僕に声をかける。

「ケーキでいいの?」

「カップ麺よりかマシ」

「そーかな…」

「皿2つ出せよ」

「えっ」

「飲み物ねーの」

「…水出しの麦茶パックなら」

「いれろ」

かっちゃんはフォークをケーキの下に差し込んで、倒さないように慎重に皿に移している。
水道水をそのままピッチャーに入れて麦茶パックを突っ込み、菜箸でツンツンとつついて色を出す。その様子を汚物でも見るような冷めた目で見ながら、かっちゃんはケーキの乗った皿を持ってキッチンを出ていった。ローテーブルにそれを置き、どっかりとカーペットの上に腰を下ろす。
僕の部屋で、綺麗な装飾がされた甘そうなケーキと一緒にかっちゃんが座っている。異質な光景だ。

「はい」

「ン」

色だけとりあえず茶色くした麦茶をかっちゃんに注ぐと、喉が渇いていたのか一杯目を一気に飲み干した。

「薄」

「そりゃあね」

文句を言いながらも、ピッチャーを傾けて2杯目を注ぎ足す。

2つ置かれたケーキの傍に、僕も腰掛けた。「イタダキマス」と手を合わせたかっちゃんは、チョコと飴の繊細な細工をフォークで潰し、パリパリと崩れたそれを柔らかいスポンジと一緒に口にいれていく。

「…いただきます」

本当は明日の朝にしようと思ってた。昼間にも来客からいただいたものを食べたし、やっぱりちょっと胸焼けしそうだったし。

「んー…これ檸檬風味なんだ。サッパリしてておいしい」

「こっちはクソ甘ェ」

かっちゃんの傍に置かれたチョコケーキと、僕の前に置かれたレモンチーズケーキ。
甘いもの好きじゃないなら、チーズケーキの方を食べればよかったのに。

「風呂貸せ」

「え、帰らないの?」

「あ?もう終電ねーだろが」

「飛んで帰ればいいじゃん…」

「さっき近所メーワクっつったの誰だ」

文句を言いながら薄い麦茶と甘すぎるチョコレートケーキを平らげて、かっちゃんは脱衣所へと消えていく。

「歯ブラシよこせ」

「もー…」

「ンだこれ、ダセぇ」

「オールマイトカラーじゃん」

僕の服を小さいダサいと言いながら寝間着にして、新品のパンツまで強奪されて、自分の服を洗濯乾燥させて、ベッドも奪われて、横暴の限りを尽くして翌日、かっちゃんはまた現地へと帰っていった。

朝僕が目覚めた時には既に居なかった。ケーキの空き箱はゴミ箱に捨てられていて、冷えた麦茶が冷蔵庫の中に入っている。

テレビをつけると、水害を報じる生中継の中に、大・爆・殺・神ダイナマイトの姿が映っていた。

「オメデトウ、くらい言えよな」

カップ麺は朝食には随分と脂っこくて、コーヒーとの相性も最悪だった。
それでも、気持ちのいい朝だった。

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