何処から意識が戻ったのかは、勝己自身定かではなかった。
 出久が扉を開けた先は殺風景な小部屋になっているように見えた。ただ一つ、妙なガラス玉のようなものがこっちを向いているのが見えて、勝己は[ジジ]とその装置が音を立てるのを聞いたところで、部屋に入ろうとする出久の腕を引いて自分が前に出た。強い閃光を全身に浴びた勝己は、己の身体でその全てを受け止めているか気がかりだった。光が漏れて出久に当たっていては、この行為は無駄になる。なんとか装置も壊せないかと腕を前に伸ばし、「かっちゃん!」と出久の悲鳴に近い呼びかけが聞こえたのを最後に、勝己の意識は途切れている。

 明確に取り戻したのは嗅覚からだった。埃や土の臭いに混じって、汗のにおいがする、と思った。
 勝己はそれが出久の汗だとすぐに分かった。プロヒーローに復帰させてから一緒に行動することも増えたし、時折汗だくの出久の服を自分の服と一緒に洗濯してやることもあったからだ。そこまで考えて、今は任務中であったと、気を失う直前までの記憶も取り戻した。右側の視界が開けたことが認識できて、視界いっぱいに出久の首元が映る。

 ――出久?

 出久の顔が勝己の顔面に覆いかぶさる。薄く開けた出久の口から、舌が少し覗いていた。自由に動く右目を泳がせる間もなく、出久の顎が勝己の鼻に触れる。

 ――は?

 離れていく出久の口元で伸びた舌が引っ込む。すぐに左側の視界も開けて、瞬きが出来るようになった。
 出久は飛びのくように勝己から離れて、誰から隠れているのか腕で自分の顔を隠している。勝己は飛び起きて問いただそうとして、自分の身体が動かないことに気付いた。石のように自分の身体が重く、指先さえ1ミリも動かすことが出来ない。動く眼球を下へ向けると、コスチュームをはだけられた胸元が見えた。
 自分の身体が灰色に染まっている。胸元だけが肌色のままで、さらけ出された肌がスースーとする感覚がある。
 
 ――ンだこれ!ふざけやがって…!

 勝己は怒りに震える。実際には身体は何処も動かすことが出来ず、ただ目元だけが怒りに逆立っているのみだったが、出久にはそれで十分勝己の感情が伝わっているようだった。
 出久は困ったように眉を下げながら、何やら喋りながら勝己の傍にまた寄って来る。勝己は耳の感覚がなくその音を拾うことは出来なかったが、出久が謝っていることは分かった。勝己の頭の傍に正座をした出久は勝己の顔の傍に手をつき、顔を寄せる。

 ――おいまさか、

 勝己は嫌な予感がして、固まった身体をさらに固めた。実際には目元だけが固まり、息を止めるだけなのだが。
 
 ニュチ……

 耳の外側の感覚が戻ってすぐ、右耳から音が聞こえるようになり、勝己は逃げ出したい気持ちで狂いそうになる。

「ふぅ……は、ふ……」
 
 ぬるっ……ぬるっ……ピチャ……

 ――やめろやめろやめろ!
 
 出久はパニックになる勝己の様子に気付くこともなく、熱心に勝己の耳の窪みまで舌を這わせている。裏側から根元まで丁寧に舌を這わせ、息をつく時には「ふぅ」と勝己の耳に直接息がかけられる。外耳道まで舌が差し込まれ、勝己はいよいよ意識が遠のいた。股の感覚がもし戻っていたなら、確実に勃起していたことだろう。テントを作らずに済んだのはよかったのか、悪かったのか。行き場の無い昂ぶりが己の中に渦巻いて、そろそろ泣いてもいいだろうかと勝己が心を折りかけた頃、出久の顔が離れていく。

「はぁ…かっちゃん、聞こえる…?」

 ――助かった……

 出久は真っ赤になった顔で、唾液に濡れた口元を拭いながら勝己の顔を覗き込んだ。
 充血した勝己の目と視線を合わせると、恥ずかしそうに顔を背けて起き上がる。

 ――おいまさか

 いそいそと反対側へとまわった出久は、勝己の左耳の傍へと膝をつく。
 
「あのねかっちゃん、嫌だろうけど、こうしないと解除されないから…」

 出久の顔が寄って来る。すぐに耳の感覚が戻り、濡れた出久の舌が自分の耳を隅々まで舐めていく感覚が分かる。勝己は気が遠くなるよう、可能であれば再び意識がなくなるように心底願った。
 
 


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

コスチュームを脱がされ下着で仁王立ちさせられた勝己は、殆どの部位を出久に舐められ、もはや無の境地にいた。出久曰く「濡らさないと解除されないから」とのことで、出久は一生懸命に唾液を口に溜めては勝己の全身にキスをして、チロチロと舌を当てていく。勝己の表情や視線で言いたいことは分かるのか、「先に手足解除したらキミ暴れるだろ」と何度も言い聞かされたが、勝己は全く納得出来ていない。

――最初に口解除して、俺が自分で舐めりゃいいだろうが……

 とはいえ、勝己自身それを想像しないようにしていた節があった。未だに石化したままの勝己の口元は開いた状態で石化しており、口腔内、舌先まで感覚が無い。
 それを解除するにはどうしたら良いのか。出久は敢えてそこを避けているようだったし、勝己も同様を隠せずにいる。勝己と出久は腐れ縁の幼馴染であり、それ以上の名前のある関係はなかった。せいぜいが戦友や同僚、ライバルといったところか。
 一方の勝己はそれ以上の感情を持ち合わせており、出久に伝える気はないその劣情は、今や石化のおかげで辛うじてバレずにいる状態だった。

 ――もう、一生石になってろ。お前の出番は一生来ねぇから。

 背筋やら二の腕やらに出久がキスをしていく最中、勝己は石化した陰茎が射精したくて痛むような気さえしていた。
 この感覚をオカズに一生いけるので、石化したままでは勿体ない気もしているのだが。

「……ふぅ……」

 出久は意を決したように、立ちすくむ勝己の前に身を構える。勝己の肩に手を当てて、少し背伸びをした出久は勝己の目を真正面から見たかと思うと、顔を赤くして逃げるようにそむけた。はくはくと口を何度も開け閉めして、どもりながら喋り出す。

 「そ、そしたら、口も、するからね…?」

 深呼吸した出久は再び勝己に向き直り、勝己の口元へと顔を寄せる。勝己はどうすることも出来ずに、恥ずかしそうに伏せられた出久の睫毛を見つめた。勝己の口元を見つめるその目元は、細かく瞬きを繰り返している。

「か、噛まないでね…」

 唇が合わさり、舌がチロチロと勝己の唇を舐める。関節をことごとく解除されていない勝己は身動きが出来ず、固まった肩では出久を抱き寄せる事すら出来ない。
 出久は勝己の肩に乗せていた手を首へと回し、勝己の頭を自分へと寄せる。既に解除されていた腰は引かれるまま屈み、出久の舌がより深く口腔へと潜り込んできた。石化したままの歯列を出久の舌がなぞっていく。

「はふ、……ふ、ぅ……」

 ちゅる…ピチャ……

 「ん…ふ、ぅ……」

 ちゅ…じゅるっ……

 出久の舌が勝己の舌に触れ、ゆっくりとなぞられる。全てを解除するためか、出久は勝己の頭を抱えてより強く引き寄せ、口を覆うようにしっかりと合わせた。より奥に届くようにと伸ばされた出久の舌が勝己の舌をなぞる。

「ふぅ…っん、んっ!」
「……ン、」
 
 勝己はしばらく、石化が解除された舌を動かしたくなかった。勝己を助けようと必死に出久は勝己の口の中を舐っているわけだが、勝己にとっては役得でしかない。まるで熱烈なカップルのように深いキスは今後も童貞を貫く予定の勝己には一生得られるものではなく、むしろ夢に見た控えめなキスとは180度違うディープなものだ。現実は妄想より奇なり。抜けていく出久の舌が惜しくなりつい舌や顔が追いかけてしまったことくらいは許されるはずだ。驚いたように顔を離した出久が口を抑えて勝己を見つめるが、勝己は何事もなかったかのように素知らぬ顔を作った。

「戻ったな」
「え…!あ、うん……」

 出久に関節を舐めさせ、手足は自分で解除していく。「怒ってないの?」聞いてくる出久に対して、勝己は「反省しろ」とだけ返した。そういえばこうなった原因は出久の不注意であった。さっさと石化光線の装置を爆破して、勝己と出久は次の部屋へと進む。部屋の陰にはシャワー室があり、勝己の石化はあっさりと全身解除された。

 ――先に装置壊して石ころのままここまで運べばよかったんじゃねえか。

 おそらく2人ともがそう思ったことだろうが、どちらともそれを口に出すことはなかった。

 部屋はまだ続いている。勝己と出久はさらに次の部屋を目指して、光の見える方へと進んだ。

 TRUE ROUTE 


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
▽出久視点


 「かっちゃん!」

 僕を押し退けて前に出たかっちゃんは、前方へ腕を突き出した姿勢で動かなくなった。
 かっちゃんのコスチュームから覗く首筋が灰色に染まっていくのが見えると同時だった。部屋の奥から[ジジジ]と部屋を開けた時と同じ音が聞こえ、僕は硬直するかっちゃんの腰を抱えて、元いた部屋の陰へと身を隠す。刹那に、開いたままの扉の奥から、かっちゃんが浴びたものと同じ光が照射された。少しの静寂の後、また[ジジジ]という音の直後に光が差し込む。5秒の間隔をあけて照射されている。それさえ分かれば、光を避けるなり装置を壊すなり対策は十分に出来たはず。僕が油断して無防備に扉を開けさえしなければ、かっちゃんが僕を庇って光を浴びることもなかった。

「かっちゃん、ねぇ」

 見える肌全体、毛先までも灰色に染まったかっちゃんは、開いたままの眼球さえ乾き切って動かない。

「返事してよ……」

 脈が取れず、呼吸している様子もない。触れた身体は石のように固くて、冷たい。

「そんな……」

 かっちゃんの身体を床に横たえると、ゴト、と石像のような音が部屋に響いた。胸に耳を当てても、冷たくて硬いそこからは何の音も聞こえない。

「かっちゃん……ッ」

 ぶわりと視界が歪む。涙がボロボロ溢れて、かっちゃんのコスチュームへと染み込んでいく。

「ごめん…ごめんね……僕のせいで……ッ」

 泣いてもどうにもならない。分かっていても、横たわるかっちゃんの身体に縋り、動き出すことが出来ない。

「う……かっちゃ…………ぅ、ん?」

  ドクン、と自分の嗚咽に混じって、脈動が聞こえた。
 自分の鼓動かと迷って、かっちゃんの胸に耳をぴったりと沿わせる。ドクン、ドクン、ゆっくりとさっきまでは聞こえなかった心臓の音が聞こえて、慌ててかっちゃんのコスチュームを脱がせる。僕の涙に濡れたコスチュームの下だけが、石化が解除されたのか肌の色を取り戻していた。

「え、なんで……!」

 ぱたり、溢れた涙がかっちゃんのお腹へと落ちて、その場所だけが肌色を取り戻す。

  「まさか、」 

 僕の涙に濡れたコスチュームを石化したかっちゃんの身体に擦り付けると、水分が石に吸われた分、少しだけ肌色を取り戻した。完全に戻すには涙が足りなかったのかもしれない。

「濡らせば戻るのか……?」

 部屋を見渡しても、蛇口や水たまりは見当たらない。垣間見える希望と驚きで涙も引っ込んでしまった。

「濡らさないと」

 解除された胸の中でかっちゃんの心臓は確実に鼓動している。それでも他の場所は未だに石化したままで、呼吸すら行われていない。異常事態には変わりなかった。全身に血を巡らせることができていても、呼吸器が停止していては酸欠で死んでしまう。

「っ、ごめん、かっちゃん…!」

 ちゅう、とかっちゃんの鼻へ口付け、舌を這わせる。かっちゃんに意識があったら吐くほど嫌かもしれない……けれど、舌を滑らせた途端に鼻はゆっくりと息を吸い、身体に空気を送り込みはじめた。念の為喉にも舌を滑らせて、気道の確保を確実にしておく。

「と、とりあえず、いいのかな……」

 石化の仕組みが分からないから、安全になったとは限らない。けれど、呼吸している様子が分かるだけで、腰が抜けそうなほど安心できた。コスチュームを脱がせたかっちゃんの胸は確かに上下にゆっくりと動いている。

「どうしよ……」

 濡らした場所が石化解除されることは分かった。つまり、少なくともかっちゃんが自由に動ける程度には身体を濡らしていく必要があるってことだ。涙が引っ込んでしまった以上、どうにかして再び泣くか、それ以外の方法を取るしかない。

 かっちゃんの瞳は石化したまま、天井を睨んでいる。僕を庇って光を直視した時のままだ。威烈な光は失われて生気を感じられない。

「……絶対嫌だろうな……」

 顔を寄せると、見つめられているような感覚になって緊張する。それでも石になったかっちゃんの瞳はどうしても見ていられなくて、ひと思いに舌を這わせた。右目を終わらせて、立て続けに左目にも舌を乗せる。

「…………」

 生気を取り戻した瞳が、ゆっくりと辺りを見まわした。瞼も動くようで、パチパチと瞬きしている。

「か、…かっちゃん」

 僕の言葉にかっちゃんは気づく様子もなく、自分の石化した身体をまじまじと眺めて怒っているのだけが伝わってくる。
 元の肌に戻ったところが少し赤くなっている。怒りで血が巡っているのかもしれない。

「ごめんほんと……」

 話が出来ないとどうにもならない。僕はかっちゃんの耳に舌を這わせて、左右の聴覚も取り戻してもらうことにした――。    

送信中です